改訂新版 世界大百科事典 「先天性代謝異常」の意味・わかりやすい解説
先天性代謝異常 (せんてんせいたいしゃいじょう)
inborn errors of metabolism
遺伝子の異常によって先天的に生体内の物質代謝過程のどこかに障害(酵素障害が多い)が生じ,なんらかの代謝異常状態による臨床症状を示す疾患をいう。
先天性代謝異常の歴史
先天性代謝異常の概念は1908年イギリスの内科医ギャロッドA.Garrodによって提唱された。彼は,尿中に異常物質の排出が増加するシスチン尿症,アルカプトン尿症,五炭糖尿症と白皮症の4疾患をあげ,家族内発生が多いこと,尿中異常物質増加が終生変化しないことから特定の代謝過程の先天性(遺伝的)欠陥であろうと考えたのである。有名なメンデルの遺伝法則の再発見がなされたのが1900年であるのは興味深い。しかし,この新概念は1940年代まで注目されなかった。40年代にC.ビードル一派によるアカパンカビの突然変異株の実験により,生体内の化学反応と遺伝子が1対1に対応するという〈一遺伝子・一酵素説〉が証明され,50年代以降にアミノ酸代謝異常症を中心として多くの新しい先天性代謝異常症が発見されるようになった。これらの先天性代謝異常の発見は検査法の進歩と密接な関係がある。現在,判明しているアミノ酸代謝異常症は100余に達している。他の代謝系の異常を含めると先天性代謝異常症は数百に及ぶと考えられる。個々の疾患の発生頻度は低く(フェニルケトン尿症は約8万人に1人),まれであるが,全体としてみると,疾病のなかで相当な比重を占める分野を形成している。
先天性代謝異常の分類
生体内の物質代謝経路に従って以下のように分類する。(1)糖質代謝異常 糖原病,ガラクトース血症など生体のエネルギー源であるブドウ糖の供給障害が中心である。(2)アミノ酸代謝異常 タンパク質が分解吸収され,再合成して利用される過程の障害で,フェニルケトン尿症,カエデ糖尿症,ホモシスチン尿症などがある。(3)中性脂肪代謝異常 血漿中の脂肪の増加,組織への沈着が起こる。(4)複合糖質代謝異常 ムコ多糖代謝異常(例,ハーラー症候群),糖脂質代謝異常(例,テイ=ザックス病,ニーマン=ピック病など一群のリピドーシス),糖タンパク質代謝異常(例,シアリドーシス,アイ・セルI - cell病),の三つに分けられる。蓄積性疾患が多く,知能障害,骨変化を伴って重症心身障害の原因となる。(5)血漿タンパク質代謝異常 血液凝固因子欠乏など。(6)血色素生成異常 鎌状赤血球症,ヘモグロビンM症など。(7)色素代謝異常 ポルフィリン代謝異常,ビリルビン代謝異常がある。(8)金属代謝異常 ウィルソン病,メンケス病など。(9)核酸代謝異常 レッシュ=ナイハン症候群,先天性痛風など。(10)転送機構異常 シスチン尿症,尿細管性酸血症など腎再吸収障害と腸管吸収障害がある。(11)その他 副腎性器症候群,甲状腺ホルモン合成障害など。
発症機序
生体の遺伝的形質は遺伝子によってのみ伝えられ,その変化は遺伝子の突然変異によって起こる。その本態は単一の遺伝子の化学構造の変化であるが,対をなす遺伝子の組合せにより,異常が発現するか否かが決定される。遺伝子はいくつかのDNAの組合せ(シストロン)からなり,タンパク質の構成分であるポリペプチド1個を規定する。したがって,DNAの構造変化はそのままポリペプチドの構造異常となって表現される。このタンパク質がある機能をもつ場合には機能欠損あるいは機能異常が起こる。すなわち,酵素タンパク質異常の場合は酵素障害(おもに酵素活性の低下の形をとる),血漿中の凝固因子やホルモン,転送機構にかかわる担送タンパク質などの機能タンパク質や生体の構造タンパク質であれば,それぞれ特異的障害を起こす。これらの障害が代謝障害として病気の原因となるときに先天性代謝異常と呼ばれるので,それは遺伝子異常に基づく先天的タンパク質合成異常と考えることができる。
病態生理
一つの酵素反応(前駆物質→反応産生物質)が進行するためには前駆物質量,酵素活性が十分に保持されていることが必要であり,補酵素,必須イオン,活性化物質,抑制物質などの諸条件も関係する。また,共役反応がある場合,その活性が正常であることが必要である。個々の物質代謝系は多くの酵素反応が連鎖,またはサイクルをつくり,共役反応によって横への連係をつくって複雑に形成されている。酵素欠損による臨床病態のメカニズムは次の4通りである。(1)前駆物質の蓄積 血中または細胞内で濃度が上昇し,組織発達の阻害,肝臓や腎臓への中毒作用,蓄積した細胞または組織の機能障害と崩壊などを起こす。たとえばフェニルケトン尿症では知能障害と血中フェニルアラニン増加が起こる。(2)反応産生物の欠乏 欠乏症状を示す。エネルギー源として重要な物質が同化されない場合には発育不良を示す。たとえば糖原病Ⅰ型ではグリコーゲンからブドウ糖(グルコース)が形成されず,空腹時低血糖と発育不良を起こす。(3)正常過程の遮断による側副経路の異常中間代謝産物の増加 たとえばガラクトース血症ではガラクチトール蓄積による白内障が生ずる。(4)フィードバック制御機構の異常 反応系最終産物が制御に直接関係する場合に,その欠乏により反応系がコントロールされずに過剰に進行する。たとえばレッシュ=ナイハン症候群の場合には尿酸過剰産生が起こる。(1)~(4)のメカニズムが単一または複合して臨床病態を形成するのである。転送機構異常の場合にも同様に被転送物質の過剰残存(例,シスチン尿症におけるシスチン結石),または代謝産物の欠乏(例,ハート=ナップ病におけるニコチン酸欠乏)などが臨床症状を形成する。同一の遺伝子異常であっても,2次的,3次的障害の起り方で臨床症状出現時期,順序,重症度に差異が生ずる。性別,環境条件,外因性因子,とくに食事と栄養内容などが関係する。発症年齢が早いほど中枢神経系が障害され,重症心身障害を起こす傾向がある。逆に無症状のもの,成人に至って症状が発現するもの,側副経路の発達によって代償されて軽症化するものもある。最近の生化学的分析技術の進歩によって酵素欠損症における細胞レベルの病態生化学は解明されつつあるが,細胞,組織あるいは生体の機能障害との関連についての理解には現状はほど遠い。
診断
臨床症状,遺伝性,特異な生化学的異常の確認により総合的に診断する。臨床症状と一般検査結果から代謝異常の有無が推定される。二次性,続発性の場合に比べて,先天性の場合の発症頻度はきわめて低いが,血族結婚,家族内発生,乳児死亡,自然流産の存在は先天性の原因を疑わせる。典型的な病像は複数の症状の組合せによって原因疾患に特徴的なことが多い。これに基づいて推定される各疾患のスクリーニング検査を行う。通常,各種の尿定性反応を幅広く,的確に行って検索の方向を定めることになる。次に代謝産物の過剰蓄積,欠乏,排出増加を確認して診断の補助にする。ろ紙クロマトグラフィー,薄層クロマトグラフィー,アミノ酸自動分析法,ガスクロマトグラフィー,ガス質量分析法,電気泳動法などの分析化学技術を利用する。各種の負荷試験が有用なことも多い。生化学的診断は酵素異常そのものを確認することにより生後まもなくからでも確立される。しかし,対象疾患がまれなことと技術的に難しい場合も多く,その場合は専門機関においてのみ可能である。検査試料には血清,尿,生検材料,末梢血球,皮膚組織培養による繊維芽細胞などを適宜選択して使用する。近年発展した診断法にヘテロ保因者診断法と新生児マススクリーニング法がある。前者は,劣性遺伝子の保因者を検出するもので,優生学的見地から重要であり,羊水診断法とともに遺伝相談に活用されるが,まだ診断可能な疾患が少ないことが難点である。後者は,早期診断・早期治療開始の原則に沿って新生児の血液をろ紙に採取し,有効な治療法の確立している数疾患を集団的に診断する方法である。1978年から全国的規模で施行されている。フェニルケトン尿症,カエデ糖尿症,ホモシスチン尿症,ガラクトース血症,クレチン症が対象疾患である。
治療
病的酵素異常そのものの矯正は不可能であり,根本的治療法はない。しかし,代謝異常による不可逆的障害が生じる前に適切な治療を開始すれば発症を予防しうる場合が少なくない。早期診断・早期治療開始が原則で,以下のような方法がある。(1)前駆物質の摂取制限 フェニルケトン尿症の際のフェニルアラニン制限など制限食事療法である。(2)反応生成物質の補給 糖原病I型にブドウ糖を与えて低血糖を防止したり,副腎性器症候群にコルチゾンを与える。(3)有害物質除去および変質 ウィルソン病で蓄積銅除去のためキレート剤を与える。シスチン尿症でシスチンの溶解度を増加させるためアルカリ療法やペニシラミンを与えて結石を防止する。(4)症状悪化の誘因となる薬剤の禁止。(5)補酵素の大量補給 ビタミン依存性のある場合に有効である。(6)欠損酵素の補給 最も理想的であるが,細胞内への到達,有効性の持続に問題がある。試験的段階を脱していないが,種々行われている。近年,遺伝子工学を利用した遺伝子治療が試みられ,日本でもアデノシンデアミナーゼ欠損症などの成功が報告されている。
遺伝
先天性代謝異常の遺伝形式は,常染色体性劣性遺伝,常染色体性優性遺伝,伴性遺伝(優性および劣性),の三つに分けられる。ほとんどの疾患は常染色体性劣性の形式をとる。この場合には劣性遺伝子のホモ接合体のときにのみ患者となる。累代発症はなく,まれな疾患ほど近親婚の頻度が高い。この場合,平均して兄弟の1/4が発症し,1/2がヘテロ保因者となる。通常,男女の発病率は等しい。一方,常染色体性優性形式をとる疾患は多くない。完全優性と不完全優性とがある。完全優性は浸透度(典型的症状の出現度の強さ)の高い場合で,両親のいずれかがヘテロ接合体の患者である。したがって突然変異によるものを除けば,累代発生率が高い。遺伝性球状赤血球症,骨形成不全症遅発型などがある。伴性遺伝性形質はX染色体上に遺伝子座がある場合で,劣性の場合には男子にのみ発現し女子にはまれである。血友病A,デュシェンヌ型筋ジストロフィー,レッシュ=ナイハン症候群など有名である。優性の場合は男女比は1対2となる。この形式をとる疾患はきわめて珍しく,グルコース-6-リン酸脱水素酵素欠損症がある。一般に特異的な生化学的・臨床的症状を示す疾患が異なった遺伝子異常によって発生することがある。ヘモグロビン異常には多数の変異型がある。酵素異常の場合にも発症機序が複雑であると各段階が別の遺伝的支配を受けていると考えられる。単一の疾患と考えられてきたもののなかに異なった遺伝形式を示す場合があり,これを遺伝的多様性という。
執筆者:中村 了正
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