光久寺(読み)こうきゆうじ

日本歴史地名大系 「光久寺」の解説

光久寺
こうきゆうじ

[現在地名]氷見市飯久保

風香山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。康永二年(一三四三)に性専により開基という(貞享二年寺社由緒書上)。伝承によれば、仏生寺ぶつしようじ村の奥にあって風香山玄巣院と称し、大化年間(六四五―六五〇)の開創といい、奈良長谷はせ(現奈良県桜井市)別院の一という(越中志徴)。また親鸞が越後流罪の折に教化をうけ、浄土真宗へ改宗したともいう。

光久寺
こうきゆうじ

[現在地名]北浦町三川内

横瀬よこせ(三九三・五メートル)南西麓の川左岸、梅木うめきにある。正宗山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。江戸時代は台雲だいうん(現延岡市)末であった。天正元年(一五七三)猪股甚左衛門の創建とされ、台雲寺無外実伝を請じて中興開祖としたと伝える。初めは浄土真宗寺院で正宗しようしゆう寺と号していたが、天正年間養正が当寺に住して禅風を振るい、文禄(一五九二―九六)の初め頃猪股甚助寺地本堂建立の費用を寄進した。

光久寺
こうきゆうじ

[現在地名]能代市清助町

清助せいすけ町の東端にある。浄土宗、大窪山と号し、本尊は五智如来。

寛保元年(一七四一)の「代邑聞見録」に、

<資料は省略されています>

とある。大窪丹後(光久)は能代奉行を勤めた。大光院は八幡神社別当。

「伊頭園茶話」に、本尊の五智如来は、もとは仁鮒にぶな(現山本郡二ッ井町)鎮守である五社堂の地神五代を祀った五智如来の五体のうちの一つとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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