デジタル大辞泉 「光則寺」の意味・読み・例文・類語 こうそく‐じ〔クワウソク‐〕【光則寺】 神奈川県鎌倉市長谷にある日蓮宗の寺。山号は行持山。日蓮の竜ノ口法難ののち、北条時頼の家臣宿屋光則が帰依して自邸を寺として寄進したもの。開山は日朗。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「光則寺」の意味・読み・例文・類語 こうそく‐じクヮウソク‥【光則寺】 神奈川県鎌倉市長谷にある日蓮宗の寺。文永一一年(一二七四)ごろの開創。開基は北条時頼の家臣、宿屋光則。開山は日朗。日蓮の龍ノ口法難に際して、日朗などの弟子たちが土牢に入れられた故地。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「光則寺」の解説 光則寺こうそくじ 神奈川県:鎌倉市長谷村光則寺[現在地名]鎌倉市長谷三丁目長谷(はせ)観音の北隣の谷にある。日蓮宗、行時山光則寺と号する。もと妙本(みようほん)寺末。開山日朗、開基は北条時頼の近臣宿谷(屋)光則、寺域は光則の居宅跡というが、寺史は未詳。寺伝では、文永八年(一二七一)九月の龍ノ口法難で捕らえられた日朗ら日蓮の門弟は光則に預けられ土牢に幽閉、光則はこの間に日蓮に帰依し、邸を寺に改めて父行時の名を山号に、自分の名を寺名にしたという。貞享二年(一六八五)の過去帳にも「吾祖大聖、文永十一年五月、宿谷左衛門尉光則、父行時江山号、寺号賜て日朗江御附属之霊跡」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「光則寺」の意味・わかりやすい解説 光則寺こうそくじ 神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある日蓮(にちれん)宗の寺。行時(ぎょうじ)山と号する。本尊は一塔両尊四士と日蓮上人(しょうにん)像。日蓮が1271年(文永8)に竜口(たつのくち)法難で捕らえられたとき、弟子日朗(にちろう)らは北条時頼(ときより)家臣宿屋(宿谷)光則(やどやみつのり)に預けられた。光則はその後日蓮に帰依(きえ)するとともに、日朗に自邸を寄進して寺とし、父の名行時を山号、自分の名光則を寺号としたという。現本堂は1650年(慶安3)再建のもの。境内には日朗らが入れられていたと伝える土牢(つちろう)がある。[水谷 類] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例