光沢寺
こうたくじ
[現在地名]甲府市相生三丁目
新平和通(国道三五八号)の東側にある。化竜山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。正式名称は甲府別院光沢寺。もともとは天台宗で蛇伏山長延寺といい、鎌倉常葉(現神奈川県鎌倉市)にあったが、貞応―元仁(一二二二―二五)頃親鸞の教化によって真宗に改宗した。天文年中(一五三二―五五)時の住持実了が関東管領上杉憲政の一族だったため小田原北条氏と対立し、武田氏を頼って甲州に移り長延寺を建てた。その際寺領として上岩崎(現勝沼町)・信州犬飼(現長野県松本市)でそれぞれ一千石を寄進されたという(寺記)。当初の寺地は不明だが、「甲斐国志」は柳沢家家老柳沢権太夫の屋敷付近、「寺記」は甲府城の北西としている。永禄四年(一五六一)と推定される閏三月二三日の長延寺師慶(実了)の書状(一蓮寺文書)によれば、当寺西門前境をめぐって相論があり、当寺側は境の林を八田(現石和町)の末木新左衛門のものと認め詫び言を入れている。
光沢寺
こうたくじ
[現在地名]柳津町本郷
真宗大谷派、聖徳山川並光沢寺と号し、本尊は阿弥陀如来。前身を光琳坊といい、永正一二年(一五一五)七月二日付で本願寺実如から方便法身像を下付された。裏書に「尾張国葉栗郡西柳津村 願主 光琳坊観光」とある。寺伝によれば光琳は親鸞に帰依した初代の名で、観光は一〇代目にあたるという。当時の光琳坊は西柳津の字一ヶ城にあったと伝え、この由縁で当寺を一城院ともよぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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