全人民国家論(読み)ぜんじんみんこっかろん

改訂新版 世界大百科事典 「全人民国家論」の意味・わかりやすい解説

全人民国家論 (ぜんじんみんこっかろん)

ソ連邦で1960年代初頭に提唱された国家理論で,階級矛盾を止揚し,共産主義社会の建設を課題とする無階級社会の国家の理論的表象として提唱された。1961年のソ連の共産党綱領は,〈プロレタリアート独裁は,共産主義の第一段階たる社会主義の完全かつ最終的な勝利と,共産主義の全面的な建設への社会の移行とを保障したことによって,その歴史的使命を果たし終え,国内的発展の任務という見地からみて,ソ連ではもはや必要でなくなった。プロレタリアートの国家として発生した国家は,今日の新しい段階では,全人民国家Vsenarodnoe gosudarstvoに,全人民の利益と意思を表現する機関に転化した〉と述べた。ソビエト社会にはすでに敵対的階級が存在せず,国家は階級的抑圧機能をもたないという,この全人民国家論は,フルシチョフ指導のもとに,この国家の共産主義的自治への漸次的移行を楽観的に展望するものであった。この理論は,直接的には61年の党綱領を基礎としているが,その前提は1936年のスターリン憲法制定時に形成されており,当時すでに全人民的性格をもつプロレタリアート独裁の国家と規定したり,〈社会主義社会完成論〉とか〈無階級社会主義社会論〉をとなえたりする論者も多く,全人民国家論の起点をその時点に求めるソ連の研究者もいる。ソ連の全人民国家論は,60年代以降,必ずしも一様ではなく,党綱領の規定の理解自体も論争を呼んでいる。その主要論点は,資本主義から共産主義への過渡期全体を通してプロレタリアート独裁が貫かれるかどうかにあり,いわゆる中ソ論争も引き起こした。1977年憲法制定後は,ソ連社会主義を,長期にわたる社会主義から共産主義への建設過程の初期段階にあるとする評価などとも関連して,全人民国家から共産主義的社会的自治への転化に関する楽観的展望をうたった党綱領およびそれにもとづく1960年代全人民国家論に対する反省が始まった。現存する社会主義国家の改善,民主主義の発展など具体的レベルで国家論を論ずる傾向が強まっていた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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