国際共産主義運動の路線をめぐり,1960年から64年にかけておこなわれた中国共産党とソビエト連邦共産党との論争。国家関係にまで波及し,中ソ両国の対立を決定的なものとした。1956年のソ連共産党第20回大会でのスターリン批判と平和共存・平和競争・平和移行の新路線の採択以来,中ソ両党間に意見の相違が生じ,57年11月の社会主義12ヵ国共産党・労働者党代表者会議,60年11月の世界81ヵ国共産党・労働者党代表者会議による調整と綱領的文書(モスクワ宣言,モスクワ声明)の採択も一時的な妥協に終わった。ソ連共産党はフルシチョフの主導のもと,アメリカとの平和共存を最優先の課題とし,平和革命(議会主義)の現実性を強調したのに対し,中共は暴力革命とプロレタリア独裁をマルクス・レーニン主義の核心とする立場から,ソビエト共産党およびこれに追随する党の路線を現代修正主義として批判した。
両党の論争は互いに名指しを避けつつも60年に公然化し,同年7月,ソ連が中国との経済技術援助協定を一方的に破棄して中国経済に大打撃を与えるなど,国家関係にまで波及した。62年,キューバ危機,中印国境紛争(中印国境問題),部分的核実験停止条約交渉を背景に論争は再燃した。中共を教条主義・極左冒険主義として非難する西ヨーロッパ各国の共産党に中共が反論し,ソ連共産党は東欧諸国中,唯一中国を支持するアルバニア労働党を攻撃するという〈代理戦争〉の形態で始まったが,63年6月,中ソ両党会談に際し,中共がソ連共産党にあてた文書〈国際共産主義運動の総路線についての提案〉を公表し,7月,ソ連共産党が〈ソ連の全党組織と全共産党員にあてた公開書簡〉を発表するにいたって両党の公然たる論争に発展した。論争点は国際共産主義運動の原則的な諸問題からスターリン批判,対米外交の具体的な問題にまできわめて多岐にわたったが,現代世界における社会主義諸国,とりわけソ連の役割を決定的なものとする立場と,各国人民の革命闘争,民族解放闘争に社会主義国は奉仕すべきであるとする立場の対立が根本にあった。
両党の論争は64年10月のフルシチョフの失脚によって一段落するが,中ソ両国間の対立はその後,さらに深刻化し,68年のチェコ事件を契機に中共はソ連を社会帝国主義国と断定するにいたった。中共の批判の重点の一つに,61年のソ連共産党第22回大会で打ち出した〈全人民の国家〉〈全人民の党〉なる規定がある。ソ連では階級矛盾が消滅し,プロレタリア独裁の任務は終えたとするこの規定は,党・国家の指導部の堕落変質のもとであり,資本主義復活が進行しつつあるのを隠蔽するもので,社会主義は長期にわたる過程であり,全期間を通じて階級闘争は存在し,連続革命によって資本主義の復活と闘い,社会主義を発展させねばならないとするのが中共の主張であった。62年以来,中国自体で過渡期階級闘争の理論が強調され,ついにはプロレタリア文化大革命に突入していく契機の一つに,この論争における自己の主張の実践があったのである。
執筆者:小野 信爾
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中国共産党とソ連共産党のイデオロギー的対立。論争の契機は1956年2月,ソ連共産党第20回大会でのスターリン批判。フルシチョフが秘密報告のなかで平和革命への移行とアメリカとの平和共存を主張したのに対し,中国はこれを修正主義ときびしく攻撃,アメリカ帝国主義反対のキャンペーンを展開した。60年4月イデオロギー的論争が表面化すると,7月ソ連はいっさいの対中経済援助を停止,63年の中ソ会談を最後に,両党の関係は完全に断絶した。68年8月ソ連のチェコ侵入後,中国はソ連を社会帝国主義と定義し,69年3月珍宝島での国境紛争に発展した。その後の中ソ対立のなかで,日本は「覇権」問題をめぐって重要な役割を演じた。
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…ソ連の全人民国家論は,60年代以降,必ずしも一様ではなく,党綱領の規定の理解自体も論争を呼んでいる。その主要論点は,資本主義から共産主義への過渡期全体を通してプロレタリアート独裁が貫かれるかどうかにあり,いわゆる中ソ論争も引き起こした。1977年憲法制定後は,ソ連社会主義を,長期にわたる社会主義から共産主義への建設過程の初期段階にあるとする評価などとも関連して,全人民国家から共産主義的社会的自治への転化に関する楽観的展望をうたった党綱領およびそれにもとづく1960年代全人民国家論に対する反省が始まった。…
…56年2月の第20回党大会で彼は,平和共存は戦術的なものではなく,〈ソビエト対外政策の基本原則〉であると述べるとともに,〈帝国主義が存在する以上戦争は不可避であるというマルクス=レーニン主義の命題〉は諸条件が根本的に変化した現在には適用できない,として平和共存の理論的根拠を明らかにした。 1960年代の中ソ論争において中国は,ソ連の平和共存政策は被抑圧民族の解放闘争への支援を放棄するものだ,と非難した。それに対しソ連は,東西の国家間の平和共存関係と,第三世界の民族解放闘争への支援とは別問題であり,後者への支援を続けることを明らかにした。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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