全昌寺(読み)ぜんしようじ

日本歴史地名大系 「全昌寺」の解説

全昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]加賀市大聖寺神明町

大聖寺神明だいしようじしんめい町南端にあり、熊谷山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。寺伝によればもと真言宗で大勝だいしよう寺と称し、山代やましろ村に七堂伽藍を備えた寺であったが、戦国の兵乱で焼失、のちに建てられた小庵に宗古が入り、天正四年(一五七六)禅宗の全昌寺として「南宮北山」に移った。その後再び兵火で焼失したが、慶長三年(一五九八)溝口氏に代わって大聖寺城に入った山口宗永の帰依を受けておか村で再建された。

全昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]大垣市船町

水門すいもん川右岸に位置し、寛永城下絵図にその名がみえる。曹洞宗に属する。桃源山大仙院と号し、本尊は釈迦如来。元和三年(一六一七)戸田氏鉄の室大誓院が叔父戸田甚五郎のために摂州尼崎あまがさき(現兵庫県尼崎市)に全昌寺を建立。寛永一二年(一六三五)氏鉄の大垣城移封に伴い全昌寺住職照岩も来垣、鷹匠たかじよう町付近にあった林泉りんせん寺に住し、慶安四年(一六五一)現在地に氏鉄の寄進で伽藍を造営(大垣市史)

全昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]師勝町井瀬木 居屋敷

鎮護山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。元禄四年(一六九一)英荻の開山であるが、由緒はつまびらかではないと「西春日井郡誌」に記す。「寛文覚書」に開具山全昌寺とあるので、同年の蘆洲英荻は中興であろう。「雑志」には天文一四年(一五四五)正眼しようげん(現小牧市)九世超鶚祖宗の創建、元禄三年宗竜が法地としたと記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報