1日の労働時間を8時間とする制度。この制度を初めて確立したのは、オーストラリアのメルボルンの建築労働組合が1856年に締結した労働協約であるといわれているが、この制度が多くの国で一般化されるようになるのは第一次世界大戦後のことである。
労働時間の短縮を求める運動は、最初10時間労働を求める運動として始められたが、これが確立すると9時間労働制、さらに8時間労働制が要求されるようになった。とくに、カール・マルクスによって1866年に創立された国際労働者協会(第一インターナショナル)は、8時間労働制を要求して各国の労働者が運動を強化することを呼びかけた。さらに86年5月1日には、アメリカの労働組合が8時間労働制を要求して全国的なゼネストを行った。89年に創立された第二インターナショナルは、この日を記念して国際連帯の日(メーデー)と定めるとともに、8時間労働制を国際労働運動の共通要求として決議した。
こうした運動の高揚を背景に、20世紀になると先進諸国を中心に8時間労働制がしだいに確立し、さらに第一次大戦後になると急速に普及した。1919年に創立された国際労働機関(ILO)は、その第1回総会において「工業的企業における労働時間を1日8時間かつ1週48時間に制限する条約」(条約第1号)を採択し、また30年には、商業・事務労働者の8時間労働制に関する条約(条約第30号)を採択した。
わが国では第二次大戦前に8時間労働制は確立せず、戦後制定された労働基準法(昭和22年法律49号)によって、初めて1日8時間・週48時間制が採用されるようになった。しかし、わが国の労働基準法には時間外労働の最高限度を規制する条項がないため、その規制を条件としているILOの第1号条約をいまだに批准することができないでいる。また、戦後になると、先進諸国では週休2日制と結合した週40時間制が確立するようになるが、わが国においては週休2日制の普及が非常に遅れている。
[湯浅良雄]
『藤本武著『労働時間』(岩波新書)』▽『山本吉人著『労働時間制の法理論』(1975・総合労働研究所)』▽『日本労務研究会編・刊『労働時間の短縮』(1983)』
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