社会福祉事業の一環として設置される非営利的な庶民金融機関。私営質屋と比較すると、低利率であること、流質期限が長いこと、公売剰余金の返還など、質置主本位の制度となっている。
[土方 保]
日本における公益質屋の起源は、1912年(大正1)10月10日開設の宮崎県南那珂(みなみなか)郡細田村(現在の日南(にちなん)市)の細田村営質庫とされている。その後1921年前後に、財団法人東京府社会事業協会による「武蔵屋(むさしや)質店」が、東京の日暮里(にっぽり)、下谷(したや)、本所(ほんじょ)、千住(せんじゅ)などに設立された。また1924年4月1日には、東京市による「東京市設質屋」が京橋、浅草、深川、本所、下谷に設立された。地方では、北海道、宮城、茨城、神奈川、岐阜、愛知、京都、大阪、兵庫、岡山、広島などに設立され、それらの経営主体は府県、市町村、法人、個人などさまざまであり、1925年には39か所に達していた。
1921年、東京市社会局は「東京市内細民の入質に関する調査」で、質屋制度を公私混合主義から公営主義に近づけるべきであると指摘した。1922年、東京市長後藤新平(しんぺい)は、東京市政改革のため東京市政調査会を設立して「都市庶民金融に関する調査」を行い、1926年に『公設質舗』を刊行した。本書は、欧米の質屋業を考察し、日本の公益質屋業、さらには市街地信用組合について、(1)貸付利子の引下げ、(2)月利計算を日別計算に変更、(3)単利とする、(4)質物対象の拡大、(5)流質期限、(6)流質物処分後の利益返還、(7)質屋への低利資金供給、(8)質屋銀行の開設、(9)転貸厳禁、(10)質屋取締行政を従来の警察行政から社会政策的アプローチへの転換などを提言しており、これは1927年(昭和2)3月31日公布(同年8月1日施行)の「公益質屋法」の基本的意図を示している。これより以前の1901年、内務官僚であった井上友一(ともいち)は「公立質制度の機運」で、窮民は国民の権利としてではなく、国からの恩恵として救助されるべきものと主張し、ヨーロッパの質制度の検討後、公立質をもって行政制度の講究問題として社会政策からの公益質屋制度の導入を論じていた。
厚生省社会局(当時)調査の「戦前および戦後における質屋数」によれば、公益質屋の設置数は1939年には1142に達したが、1955年には655に半減し、1983年には61と激減した。1955年における公益質屋の資金は12億円で、1質屋当りの平均資金量は、市で300万円、町村で100万円であった。これでは住民の需要に応じることはできなかった。1954年度に東京都で資金不足のために貸付できなかった件数は11万2000件、金額にして1億6000万円、地方の小都市でも申込みの約半数は資金不足のために貸付に応じられないのが実情であった。1983年の設置数激減期の貸付件数は9万9820件、貸付金総額は約20億6000万円であった。
2000年(平成12)6月、社会福祉事業法が社会福祉法に改正されたのに伴い、公益質屋法は廃止された。公益質屋法廃止時点での金利は、上限年利36%であった。厚生労働省によると、同時点での貸金業・消費者金融の上限金利は40.004%であった。
こうした日本の公益質屋制度は、フランスの制度を基本にしてつくられた。日本ではその役割は終了したが、フランスでは現在も続いており、この相違をみることは、たとえば福祉の考え方など現代の問題に結び付くのではないだろうか。以下では、フランスの公益質屋制度について記述する。
[土方 保]
フランスの公益質屋は、17世紀初めに創設されたモン・ド・ピエテが始まりである。1918年にケス・ド・クレディ・ミュニシパル(市町村信用金庫)と改称されたが、1994年の新銀行法施行以降は銀行としても営業が行われている。
[土方 保]
モン・ド・ピエテMont-de-Piétéは、恵まれない人に質草をとって低利で貸付を行う組織であった。フランスの質屋は1577年にアビニョンの修道会によって始められ、その後1610年にモン・ド・ピエテが創設された。当時アビニョンはローマ教皇都市であった(1348~1791)。
質屋という考え方は、イタリアの僧侶(そうりょ)、ベルナベ・デ・テルニBarnabé de Terniが高利と戦う方策を模索して1462年ペルージアにモンテ・ディ・ピエタMonte di Pietàを創設したのが始まりである。同じ考え方の質屋は、イタリアのほかの諸都市にも生まれた。フランス語のモン・ド・ピエテは、イタリア語のモンテ・ディ・ピエタ(哀れみの貸付)のモンテmonte(価値、総額)、ピエタpietà(哀れみ、施し)のピエタをピエテpiété(信仰)と読み違えたとされている。
フランスのパリにおける最初のモン・ド・ピエテは、1637年T・ルノード(ルイ13世の医師であり慈善家)が設立し、その後ルイ13世によって58の都市に開設が認可されたが、高利貸の圧力でこの制度は廃止された。1777年12月9日、ルイ16世の勅令でモン・ド・ピエテ・ド・パリMont-de-Piété de Paris(パリ公益質屋)が再建され、国王側近のフランボアジエ・ド・ボネFramboisier de Beaunayが初代代表となった。1918年にはケス・ド・クレディ・ミュニシパル・ド・パリCaisse de Crédit Municipal de Paris(CMP、パリ市信用金庫)と改称されたが、2009年現在、当時と同じ場所で営業している。
1804年2月16日ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)は、モン・ド・ピエテの質屋業独占を認定し、1810年リヨン、1828年ニース、1867年トゥールーズ、1870年ルーベーにモン・ド・ピエテが開設された。1851年法は公益質屋法ともいうべき法で、現代に至るまでフランス公益質屋の基本的構造をなしている。この法律は11条よりなり、たとえば第2条の最初の組織によれば、モン・ド・ピエテの設立は市町村会の協賛を得て、理事の3分の1は市議会議員から、ほかの3分の1は慈恵院から、残りの3分の1は設立地の市民から選出された。理事会の議長は市町村長、パリ市ではセーヌ県知事である。理事は無給である、などとされていた。
公益質屋は、適当であると認められた担保に対して貸し付けることを根本目的としていた。質物(質草)は、宝石、貴金属、衣類、道具類その他一般動産、有価証券などで、借り手は現金とともに質札の交付を受けた。質札は持参人払いの流通債券であった。貸出は通常、期限1年で、質札に利子、税金を添えて借り入れ元金を返済すれば、その質物を請け出すことができた。借金を返済できないときには、公益質屋はこれを公売することができた。しかしこの公売は、貸出額以上の公売剰余金を生じた場合、質札の提示によって借り手に引き渡された。この清算業務は、公益質屋が私営質屋と異なる点であった。利益は慈善的機関への寄付などに向けられた。
19世紀のモン・ド・ピエテ・ド・パリはかならずしも貧しい者のためだけのものではなかった。ルイ・フィリップの息子ジュアンビルJainvilleは、賭博(とばく)の借りを支払うために自分の時計を預けた。少々恥ずべきことであったので、叔母さんの家chez ma tanteに時計を置き忘れてきたと言い張った。このことから「マ・タント」ma tante(私の叔母さん)がモン・ド・ピエテを意味するようになった。少々の後ろめたさをもって現在の公益質屋としてのクレディ・ミュニシパルについてもマ・タントということがある。
なお、1920年代欧米の質屋業は、イタリア、フランス、ベルギー、オランダでは公益質屋主義、ドイツ、オーストリアは公益私営併用主義、イギリス、アメリカなどでは私営主義であった。
[土方 保]
ケス・ド・クレディ・ミュニシパルCaisse de crédit Municipal(市町村信用金庫、以下、単にクレディ・ミュニシパル)は、1918年10月24日の政令により、モン・ド・ピエテの独占的業務を引き継ぎさらに預金など銀行業務を開設して、名称を変更したものである。クレディ・ミュニシパルは、1954年6月11日の金融法la loi de financeによりフランス人、とくに公務員に貸付を行うための最初の金融機関となった。1994年1月24日の新銀行法la loi bancaireにより、フランスの全金融機関が銀行という一つの範疇(はんちゅう)に統合されたのに伴ってクレディ・ミュニシパルも完全な銀行と認められるようになった。
パリのCMPは、1987年以降パリ近郊やイル・ド・フランスにまで支店網を拡大した。1992年には唯一の株主であるパリ市ville de Parisの責任のもとに置かれた。2004年末に再編成が行われ、CMP-Banque(CMP銀行)の子会社となった。200年以上にわたる社会的ノウハウをもつこの公益質屋は、負債問題にただちに対応しうる業務を展開している。フラン・ブルジョア通りに面したCMPは、銀行業務のフラン・ブルジョア支店となっているが、正面扉の横のはめ込みには、質草の種類と銀行業務が記されている。また次回の公売物件、期日、場所を示すパネルが掲示されている。
各都市のクレディ・ミュニシパルは、それぞれの市町村議会の議員と有識者からなる理事会の指針、監督のもとに代表理事によって運営される。また、金融機関委員会(le comité des établissements de crédit)および投資事業企業(entreprise de investissement)の承認を受けなければならない。
クレディ・ミュニシパルの主要な活動は公益質屋として独占権をもつ担保付貸付(prêts sur gage)と短期(2年)貸付である。また質草の公売による剰余金(boni dégagé)は借り手に引き渡されるという公益質屋の伝統的機能をもっている。
1906年におけるフランスの公益質屋は44で、うち25は各県(départements)に、13は各郡(arrondissements)に、6は小郡(cantons)の主都に設置されていた。2009年現在のフランス地方都市のクレディ・ミュニシパルは、アビニョン、ボルドー、ブローニュ・シュル・メール、クレルモン・フェラン、ディジョン、リヨン、マルセイユ、ナント、ニース、ニーム、パリ、ルーベー、トゥールーズ、トゥーロンなど14である。
[土方 保]
日本では、公益質屋は20世紀の約100年間で名実ともに消滅した。私営質屋も解体したといえよう。しかし、質屋を利用する人が減ったから質屋が減ったとはいえない。貧困、多重債務、少子高齢化、環境など社会問題、貸し渋り、貸しはがしなどの債務者の保護問題は、世界的にも深刻化している。これまで、社会問題の解決は行政などの公的セクターがおもに対応してきたが、近年は特定非営利活動法人(NPO法人)やソーシャル・ビジネス(社会的課題を解決することをビジネスとして行うこと)などによる問題解決の方策が注目されている。
日本でもNPOなどが市民の事業を支援するため、会員から募った出資金をもとに融資する「NPOバンク」の活動がみられる。信用力の弱さなどから融資を受けにくいNPO事業に活動資金を低利で融資する草の根銀行設立の動きが全国的に広がっている。
[土方 保]
『増井光蔵編纂『金融文献目録』(1935・啓業社、丸善)』▽『渋谷隆一・斉藤博著『府県別質屋業統計』(1968・現代経済研究所)』▽『渋谷隆一著『庶民金融の展開と政策対応』(2001・日本図書センター)』▽『渋谷隆一・麻島昭一監修『近代日本金融史文献資料集成』第12巻、第20~27巻(2003、2004・日本図書センター)』▽『ムハマド・ユヌス著、猪熊弘子訳『貧困のない世界を創る――ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』(2008・早川書房)』▽『ジャック・アタリ著、林昌宏訳『21世紀の歴史――未来の人類から見た世界』(2008・作品社)』▽『Désiré DallozDALLOZ-Dictionnaire De Droit 2vol(1905, 5e édition commencée par Armand et Victor Dalloz)』▽『Umberto BenigniMontes Pietatis(1911, “The Catholic Encyclopedia”, Robert Appleton Company, New York)』▽『Ariel ToaffJews, Franciscans, and the First monti di Pieta in Italy (1462-1500) (2004, Koninklijke Brill, Leiden)』
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…しかし実際にはより高い利子が徴収されていたらしい。庶民を悪質な金融業者の手から救う目的で15世紀にフランシスコ会の主唱の下に設立された公益質屋mons pietatisにおいてすら10~15%の利子が要求されていたのである。ユダヤ人金融業者も20%程度の利子をとっていたらしい。…
… 他方,質権がその留置的作用を最も発揮するのは,生活用具のように占有を奪われることが主観的に苦痛を伴うものについてである。質権が消費信用における庶民のための金融制度として重要な機能を営みうるのもまさにこの分野においてであり,民法のほか,質屋営業法,公益質屋法等の法律により規律されている。しかし生産用具としての動産については,そもそも占有移転を要求することは不適当であり,また不動産質権は民法上も認められているが,質権者たる金融機関などによる不動産の収益は少なくとも今日では非現実的なものとなっている。…
…いずれも私営質屋の監督法規である。1927年公布の〈公益質屋法〉によって地方公共団体や社会福祉法人により質屋が営まれることになり公・私質屋が共存することになった。私営質屋の設立には行政官庁の許可が必要である。…
※「公益質屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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