ディジョン(英語表記)Dijon

デジタル大辞泉 「ディジョン」の意味・読み・例文・類語

ディジョン(Dijon)

フランス中東部、ブルゴーニュ‐フランシュ‐コンテ地方の地方政府所在地。中世からの交通の要地で、鉄道の分岐点。歴史的建造物が残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「ディジョン」の意味・わかりやすい解説

ディジョン
Dijon

フランス中東部,ブルゴーニュ地方の主都,コート・ドール県の県都。人口15万0144(1999)。コート・ドール丘陵の北東麓に位置し,ソーヌ川の支流ウーシュ川およびブルゴーニュ運河に臨む。交通,文化,経済の中心地。とくに食品工業が集中し,世界的に有名なからしのほか,ブルゴーニュのブドウ酒の集散地である。

 ディジョンという名前が歴史に初めて登場するのは,6世紀のトゥールグレゴリウスが書いた《フランク史》においてである。737年にイスラムの,888年にはノルマン人の侵略を受け,1016年にブルゴーニュ公領(877設立)に併合された。これは,ディジョンの領主であったラングルの司教の死に伴い,フランス王ロベール2世(ル・ピュー)がディジョンを購入したことによるものである。しかし,王の死後,ブルゴーニュ公領は王領地から離れ,三男ロベールがカペー家ブルゴーニュ公の初代(ロベール1世)となった(1031)。1137年大火に見舞われたが,ユーグ2世によって都市の再建が図られ,87年には自治都市(コミューン)となった。この頃から,毎年3月に開設される大市など,ディジョンの発展がみられたが,なんといっても同市を威厳ある町に変貌させたのはバロア家ブルゴーニュ公4代(1364-1477)の時代であった。彼らは〈ヨーロッパ大公〉とうたわれて名声を博し,ディジョンは大公の城下町として多くの芸術家を集め,ブルゴーニュ文化の最盛期を形成した。人口は14世紀中葉で1万,最後の公シャルル(むこうみず)の時代で1万3000と推定されている。シャルルの死後,国王ルイ11世はディジョンに高等法院を開設し,これは3年ごとに当地で開催される地方三部会États généraux provinciauxとともに,ブルゴーニュの地方特自主義の確立に寄与した。18世紀は,ディジョンの歴史のなかで最も輝かしい時代となる。1708年には公共図書館が生まれ(現在の市立図書館),23年には大学が設置され(当初は法学部のみ),31年には司教座が置かれ,40年にはディジョン・アカデミーが認可され,60年には植物園が誕生するといったように,今日のディジョンの文化・教育施設はそのほとんどが18世紀の産物である。また市の経済的機能を高めたブルゴーニュ運河は1832年に開通し,またパリ~リヨン間の鉄道をディジョン経由とする1842年の決定は,当地の歴史と文化に対するフランス人の敬意の表れと評価された。作曲家ラモー,彫刻家リュード,建築技師エッフェルはいずれもディジョンで生まれた。
ブルゴーニュ公国
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1002-12年にクリュニーの修道士ギヨーム・ド・ボルピアノGuillaume de Volpiano(962-1031)が建造させたサン・ベニーニュ大聖堂はクリプト(地下祭室)しか現存しないが,内陣は13世紀に,身廊は14世紀に完成され,ブルゴーニュ・ゴシック建築典型をなす。ディジョンが芸術活動の一大中心地となるのは,14世紀後半から15世紀にかけてのバロア家ブルゴーニュ公4代の時代である。優美な装飾性と写実性を交えた国際ゴシック様式を代表する芸術家が輩出したが,14世紀末にネーデルラント出身の彫刻家C.スリューテルがブルゴーニュ公に仕え,力強い造形性とあふれる生命感により,この流行様式を凌駕(りようが)する造形を生みだした。彼は1389年に同市のアトリエの長となり,フィリップ2世により歴代君主の廟墓として郊外のシャンモールChampmolに建立されたカルトゥジア会修道院の扉口,同中庭にある〈モーセの井戸〉(1405)などの彫刻を製作した。スリューテルの,哀悼者の列を配した石棺彫刻は,現在市立美術館に保管されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディジョン」の意味・わかりやすい解説

ディジョン
Dijon

フランス中部,コートドール県の県都。ブルゴーニュ運河およびソーヌ川の支流ウーシュ川に臨む。交通の要衝。1015年以降ブルゴーニュ公領の首都。1477年にフランス王国に併合。古くから商業,宗教,文化の一中心として繁栄し,特にブルゴーニュワイン(→ワイン)の集散地として知られた。1851年に鉄道が敷かれてからは工業も発展し,食品加工(特にマスタードで有名),鉄鋼,電機などの工業が立地。ゴシック様式(→ゴシック建築)の代表ノートル・ダム聖堂(13世紀),聖ベニーニュ大聖堂(14世紀),ブルゴーニュ公宮殿(14~18世紀)など重要な建築物,史跡が多い。2015年,ワインの生産地としてボーヌとともに世界遺産の文化遺産に登録された(→ブルゴーニュ)。人口 15万1576(2008)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディジョン」の意味・わかりやすい解説

ディジョン
でぃじょん
Dijon

フランス中東部、コート・ドール県の県都。パリ南東310キロメートルに位置する。人口市域14万9867、都市圏23万6953(1999)、市域15万5114、都市圏24万3244(2015センサス)。交通の要衝にあり、1851年の鉄道開通により、商工業が発達した。これに伴って19世紀後半に人口が3万から7万に増加し、第一次、二次両世界大戦間には停滞したが、1945年以後ふたたび急増した。中世のブルゴーニュ公国の中心都市で、とりわけバロア家ブルゴーニュ公4代(1364~1477)の間にその城下町として発展した。現在もブルゴーニュ地方の行政、文化、商業、司法、宗教の中心地となっている。そのため、公国時代の宮殿、シャンモルのシャルトルーズ修道会の遺跡(モーセの井戸と、C・スリューテル作の教会正面の立像)などが残り、美術館の収蔵品も豊富である。ほかにサン・ベニーニュ寺院(内陣13世紀、身廊14世紀)、ゴシック様式のノートルダム教会(13世紀)、ルネサンス風のサン・ミシェル教会などがあり、観光都市ともなっている。機械、電気、自動車、電子、食品、薬品、プラスチック製品などの工業が発達する。

[大嶽幸彦]

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百科事典マイペディア 「ディジョン」の意味・わかりやすい解説

ディジョン

フランス東部,コート・ドール県の県都。パリ南東310km,コート・ドール丘陵の北端,ブルゴーニュ運河に臨む交通要地。ブドウ酒取引の中心で,機械・医薬品・電機・化学・食品工業が行われる。マスタードが有名。14世紀のブルゴーニュ公の館,大学(1722年創立)がある。14万6723人,都市圏人口23万人以上(1990)。
→関連項目ブルゴーニュ

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