日本歴史地名大系 「内河野村」の解説
内河野村
うちがわのむら
現山香町のほぼ中央にそびえる
〔中世〕
永享七年(一四三五)八月九日の大友親綱知行預ケ状(長野末夫文書)によると、「山香郷内綾富三町」が長野左馬助に預けられている。また年未詳一〇月一六日の大友親隆知行預ケ状(同文書)では長野言重に「山香郷内本給綾富拾貫」を預けている。永正四年(一五〇七)の志手泰久田畠坪付并米定銭夫銭注文案(志手文書)には「一所弐町 東綾留分」がみえ、永正年間の山香郷一揆拘分土貢納所銭注文案(志手トラエ文書)によれば山香東西一揆の東方給地として「綾富」に二町を与えている。
内河野村
うちがわのむら
内河野村
うちがわのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報