内田巌(読み)ウチダ イワオ

20世紀日本人名事典 「内田巌」の解説

内田 巌
ウチダ イワオ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治33(1900)年2月15日

没年
昭和28(1953)年7月17日

出生地
東京・牛込

学歴〔年〕
東京美術学校洋画科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
光風会賞

経歴
内田魯庵長男藤島武二師事。大正15年の第7回帝展に「白の上衣の少女」が入選。昭和4年から光風会に入り、「果物を持てる女」で光風会賞受賞。5〜7年渡仏、アカデミー・ランソンで学んだ。11年、帝展、光風会を脱会、猪熊弦一郎らと新制作派協会を設立。第1回展に「裸女をめぐる構想」などを出品。戦後21年結成の日本美術会のメンバーとなり、23年、日本共産党入党、「歌声よおこれ」を制作。「絵画の美」「人間画家」「物射る眼」「絵画青春記」「ミレー」などの著書もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「内田巌」の意味・わかりやすい解説

内田巌 (うちだいわお)
生没年:1900-53(明治33-昭和28)

洋画家。内田魯庵の子。東京に生まれる。東京美術学校卒業。1930-32年滞欧,パリのアカデミー・ランソンに学ぶ。光風会,帝展に出品後,39年新制作派協会の創立に加わる。第2次大戦の敗戦直後に結成された日本美術会の委員長となり,画家の戦争責任追及の主唱者として,画壇民主化運動に活躍した。代表作に《風》(1946),《赤旗》(1949)など。《人間画家》(1946)など,美術評論の著書も多い。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内田巌」の意味・わかりやすい解説

内田巌
うちだいわお
(1900―1953)

洋画家。東京生まれ。文芸評論家内田魯庵(ろあん)の長男。東京美術学校西洋画科で藤島武二に学び、1926年(大正15)卒業。帝展と光風会に出品。30~32年(昭和5~7)渡仏し、アカデミー・ランソンに学んだ。36年光風会会員を辞し、新制作派協会の創立に参加する。第二次世界大戦後、46年(昭和21)日本美術会結成に加わって主要会員となるほか、日本共産党に入党。社会主義リアリズムの代表作に『赤旗』『平和』などがある。

[小倉忠夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田巌」の解説

内田巌 うちだ-いわお

1900-1953 大正-昭和時代の洋画家。
明治33年2月15日生まれ。内田魯庵の長男。藤島武二に師事し,昭和5年からパリのアカデミー-ランソンでまなぶ。21年日本美術会の主要メンバーとなり,23年共産党に入党。画家の戦争責任問題や画壇の民主化運動にとりくんだ。昭和28年7月17日死去。53歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「白の上衣の少女」「風」など。著作に「人間画家」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「内田巌」の解説

内田 巌 (うちだ いわお)

生年月日:1900年2月15日
大正時代;昭和時代の洋画家
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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