内閣の全国務大臣が一体となって辞職すること。俗に政変ともいう。日本国憲法は衆議院が内閣不信任案を可決(信任案を否決)し,10日以内に同院の解散がないとき(69条),内閣総理大臣が欠けたとき,または総選挙後初の国会召集があったときに(70条),総辞職すべきことを定めている。総辞職は内閣が総理大臣の下で国会に一体として責任を負う連帯責任制の基本的しくみであり,1830年代以降イギリス議会政治の中で政治慣行として確立された。天皇大権により任免される国務大臣の単独平等輔弼(ほひつ)が原則とされた第2次大戦前の日本では,一部大臣の抵抗の結果生じる閣内不一致が総辞職を導く傾向が強く,強権的運営を批判された東条英機内閣も最後は岸信介国務相の辞職拒否によって総辞職に追い込まれた。また第1次若槻礼次郎内閣のように枢密院の反対が,平沼騏一郎内閣のように天皇発言が,それぞれ総辞職の誘因となった例もある。総辞職は政局打開の有力手段でもあり,第2次近衛文麿内閣のように,内閣改造では除去困難な閣内不一致に対抗して,再組閣を前提に総辞職する例もまれにみられる。衆議院による内閣弾劾や不信任は明治20年代後半と第2次世界大戦後の政界変動期に可決例が多いが,内閣は停会(第2次大戦前)や議会解散でこれに応じる。主要政党との協調行詰りが総辞職を導く傾向は明治30年代すでにみられ,第2次世界大戦後の保守合同以降は与党内の派閥抗争の激化が総辞職を誘発しやすい。閣僚や政府中枢の疑獄が総辞職につながる例は,1914年のシーメンス事件による第1次山本権兵衛内閣に始まる。
執筆者:水谷 三公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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