日本大百科全書(ニッポニカ) 「初田亨」の意味・わかりやすい解説
初田亨
はつだとおる
(1947― )
建築史家。東京都に生まれる。1969年(昭和44)工学院大学建築学科卒業。同大学院に進み、幕末・明治初期の擬洋風建築を中心とした研究を行う。『都市の明治』(1981)において、江戸時代から受け継がれ明治時代にさらに高められた日本の職人技術の高さや、そこに住む人々の支持に支えられた都市建築の変遷を描き出し、幕末から明治末にかけての建築の流れに、主体的な西洋建築の導入をみいだした。幕末から明治初期の擬洋風建築に関しては、海運橋三井組(1872、東京)の設計過程を明らかにし、その和洋折衷の意匠が、無理解にもとづくものではなく、意図的な操作の結果であるとした。明治中期における銀座れんが街の和風化や土蔵造の街並みを、政府の欧化政策と異なる潮流として取り上げ、洋風建築の定着を明治後期の木造漆喰(しっくい)塗の建築や勧工場(かんこうば)の中にみいだした。同書は、国家的な視点によるオーソドックスな見方を覆し、職人や市井の人々の立場から、明治時代の建築を再評価した。建築と都市を融合して、街並みの近世から近代への移り変わりを描き、1980年代に興隆する東京論の一つとしても広く受け入れられた。
都市に暮らす人々の側から建築をとらえるという視点は、その後の商業施設に関する研究につながる。『カフェーと喫茶店』(1993)は、本来同じものであるはずの「カフェー」と「喫茶店」が、日本において内容の異なる都市のなかの施設として定着してゆく過程を明らかにした。『百貨店の誕生』(1993)は、日本の百貨店が、欧米のそれを参考としながら、美術館や劇場などの施設を内包して独自の発展をとげる過程を、建築意匠の変化とともに示した。80年代の論考を中心にまとめた『モダン都市の空間博物学』(1995)は、浅草十二階、ショーウィンドー、映画館、料亭、夜店といった具体的な都市の施設を通じて、幕末から第二次世界大戦以前の昭和時代にかけての東京の移り変わりを描いた。
建築職人に対する以後の研究は、『職人たちの西洋建築』(1997)にまとめられる。明治期の日本建築が洋風建築を比較的短期間に取り入れていった背景として、その意匠と技術を積極的に摂取した大工棟梁や、新たな教育を受けて誕生した中堅技術者の活躍を論じた。また、渡り職人(働き場所を転々としながら仕事にあたる職人)の存在を明らかにし、西洋建築の伝播において彼らが果たした役割を示した。
また、80年代なかばから明治以降に建設された近代和風建築の調査にも取り組み、『近代和風建築』(共著、1992)などの著書がある。94年(平成6)より工学院大学工学部建築学科教授。97年「東京の繁華街を中心とした近代建築史・都市史に関する一連の研究」で建築史学会賞、2000年「職人および都市住民からみた日本の近代建築史に関する一連の研究」で日本建築学会賞受賞。
[倉方俊輔]
『『カフェーと喫茶店――モダン都市のたまり場』(1993・INAX出版)』▽『『モダン都市の空間博物学――東京』(1995・彰国社)』▽『『繁華街にみる都市の近代――東京』(2001・中央公論美術出版)』▽『『都市の明治――路上からの建築史』『百貨店の誕生』『職人たちの西洋建築』(ちくま学芸文庫)』▽『初田亨・大川三雄・藤谷陽悦著『近代和風建築』(1992・建築知識)』