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村上鬼城 むらかみ きじょう

デジタル大辞泉の解説

むらかみ‐きじょう〔‐キジヤウ〕【村上鬼城】

[1865~1938]俳人。江戸の生まれ。本名、荘太郎。正岡子規高浜虚子に師事して「ホトトギス」に参加。著「鬼城句集」「鬼城俳句俳論集」など。

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百科事典マイペディアの解説

村上鬼城【むらかみきじょう】

俳人。本名荘太郎。鳥取藩の江戸藩邸で生まれた。正岡子規に文通による指導を得,のち大正期に高浜虚子らに力量を認められ,飯田蛇笏前田普羅らとともに大正期の《ホトトギス》をささえた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村上鬼城 むらかみ-きじょう

1865-1938 明治-昭和時代前期の俳人。
慶応元年5月17日生まれ。群馬県高崎区裁判所の代書人となる。「ホトトギス」に投句して高浜虚子に激励され,大正6年大須賀乙字(おつじ)編「鬼城句集」により俳名をあげた。難聴にくるしみ,不遇の生活を境涯句として表現した。昭和13年9月17日死去。74歳。江戸出身。旧姓は小原。本名は荘太郎。
【格言など】生きかはり死にかはりして打つ田かな

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大辞林 第三版の解説

むらかみきじょう【村上鬼城】

1865~1938) 俳人。江戸の人。本名、荘太郎。「ホトトギス」初期から俳句・写生文を寄せ、のち虚子派に重きをなした。人生への諦念と貧窮生活のにじみ出た写生句を特徴とする。著「鬼城句集」「鬼城俳句俳論集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村上鬼城
むらかみきじょう

[生]慶応1(1865).5.17. 江戸
[没]1938.9.17. 高崎
俳人。本名,荘太郎。 1884年明治義塾法律学校に入学したが耳疾のため中退。 95年正岡子規と文通,1913年高浜虚子に認められ,やがて大正期の『ホトトギス』で活躍。句集『鬼城句集』 (1917,25) ,『定本鬼城句集』 (40) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村上鬼城
むらかみきじょう
(1865―1938)

俳人。江戸に生まれ、幼時高崎に移る。本名荘(しょう)太郎。11歳で母方の養嗣子(ようしし)となる。若くして耳疾を患い、ために軍人、司法官を志して果たさず、父の職を継いで高崎裁判所の代書人となった。『ホトトギス』の初期より投句し正岡子規(しき)の指導を受け、次いで高浜虚子(きょし)に就く。『ホトトギス』の有力作者となったが、耳疾のため裁判所を辞めさせられ、多くの子女を抱えて貧困と不遇の生活に甘んじ、動物に哀憐の目を注いだ独特の境涯句は大須賀乙字(おおすがおつじ)の激賞を受け、乙字編『鬼城句集』(1917)により一躍俳名があがった。その後愛知県発行の俳誌『山鳩(やまばと)』の選者に迎えられ、浅井啼魚(ていぎょ)らの尽力で大阪に鬼城会も発足し、生活もしだいに安定した。句集には前記と同名の『鬼城句集』(1926)、『続鬼城句集』(1933)のほか、『鬼城俳句俳論集』(1947)などがある。[村山古郷]
 治聾酒(じろうしゅ)の酔ふほどもなくさめにけり
『『村上鬼城全集』全3巻(1974・あさを社) ▽中里昌之著『村上鬼城の基礎的研究』(1985・桜楓社)』

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