千葉市若葉区桜木町(旧字(あざ)加曽利)に所在する縄文時代前期から晩期の集落遺跡。都川(みやこがわ)支流の古山川の谷に臨む洪積台地上に長径160メートルの北貝塚と、長径185メートルの南貝塚が接し、全長345メートルに達する「8」字形の珍しい形状は、日本最大級の規模を有する貝塚として知られている。1924年(大正13)の東京帝国大学人類学教室によるB、E地点の層位的発掘により、中期の加曽利E式土器、後期の加曽利B式土器として分類することが提唱され、名実ともに日本の代表的貝塚となった。北貝塚は中期の貝層が、南貝塚は後期の貝層が発達しており、大量の貝殻投棄の場を北から南へ移動している。しかし、中期の住居址(し)は、北貝塚のみならず、南貝塚やその南東方にも散在し、他方、後期の住居址は、南貝塚のみならず、その東方や北貝塚にも散在し、広い展開をみせている。しかも、南貝塚南東方の中期住居群では、約半数が覆土に貝層を伴っていた。この小貝塚と大貝塚の併存は、馬蹄形(ばていけい)貝塚の特異な性格を物語り、干し貝加工場であったという説を生む。早期末の炉穴4基、また前期2、中期73、後期34、晩期1の合計110軒の住居址、中期14、後期35、晩期4の合計53体の人骨、家犬6頭の骨が発見されている。1971年(昭和46)に北貝塚、1977年に南貝塚が国の史跡に指定された。
[堀越正行]
なお2017年(平成29)、住居址を含む貝塚全体が特別史跡に指定された。貝塚としては初めて、縄文時代の集落遺跡としては三内丸山(さんないまるやま)遺跡(青森県)、大湯(おおゆ)環状列石(秋田県)、尖石(とがりいし)石器時代遺跡(長野県)に次いで4件目である。
[編集部 2019年9月17日]
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