加藤美樹(読み)カトウウマキ

デジタル大辞泉 「加藤美樹」の意味・読み・例文・類語

かとう‐うまき【加藤美樹】

[1721~1777]江戸中期の国学者歌人。江戸の人。本姓河津。号、静廼舎しずのや。名は宇万伎うまきとも書く。幕臣として務め、賀茂真淵かものまぶちに学んだ。弟子上田秋成がいる。著「土佐日記解」「静舎歌集」など。

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精選版 日本国語大辞典 「加藤美樹」の意味・読み・例文・類語

かとう‐うまき【加藤美樹】

  1. 江戸中期の歌人、国学者。号は静廼舎(しずのや)。名は宇万伎とも書く。幕府大番の与力賀茂真淵に学び県(あがた)門四天王の一人とされる。門弟に上田秋成など。著「雨夜物語だみ詞」「土佐日記注」「静舎歌集」など。享保六~安永六年(一七二一‐七七

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改訂新版 世界大百科事典 「加藤美樹」の意味・わかりやすい解説

加藤美樹 (かとううまき)
生没年:1721-77(享保6-安永6)

江戸中期の国学者。戸田淡路守の臣。宇万伎とも記す。通称五郎左衛門。伊右衛門,大助とも称する。舎号は静舎(しずかや)。26歳で賀茂真淵に入門和歌よりも古典研究に心を傾ける。1761年(宝暦11)主人の大坂城番に従い,さらに京都二条城御番のため上京,この地で没する。著書に《土佐日記註》《雨夜物語だみことば》《静舎歌集》など。その門下から上田秋成が出ていることは注目すべきである。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤美樹」の解説

加藤美樹 かとう-うまき

1721-1777 江戸時代中期の国学者,歌人。
享保(きょうほう)6年生まれ。延享3年(1746)賀茂真淵に入門。県門四天王のひとりとよばれた。美濃(みの)(岐阜県)大垣新田藩につかえ,のち幕府大番与力となる。大坂在番中の門人に上田秋成がいる。安永6年6月10日死去。57歳。江戸出身。前姓は河津。通称は伊右衛門,大助。号は静舎(しずのや)。名は宇万伎ともかく。著作に「雨夜物語だみことば」「土佐日記解」など。

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世界大百科事典(旧版)内の加藤美樹の言及

【上田秋成】より

…このころ,秋成は2人の知識人と出会い,それが決定的な人生の転機ともなった。ひとりは,大番与力を職とする国学者加藤美樹(宇万伎)(うまき)であり,もうひとりは大坂天満の医師,白話小説家都賀庭鐘(つがていしよう)である。前者から,日本の古典の美しさとその学問を,後者から,中国白話小説の斬新なおもしろさを教えられ,彼は大きく文学的に触発された。…

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