勅旨村(読み)ちようしむら

日本歴史地名大系 「勅旨村」の解説

勅旨村
ちようしむら

[現在地名]信楽町勅旨ちよくし

まき村の南にある。信楽山地に囲まれ、大戸だいど川が北流する。東方は伊賀国境。主集落大戸川河岸の平坦地に形成される。勅旨の名は淳仁天皇がこの地で勅を発したことにちなむとする説(輿地志略)や、勅旨の牧の所在地にちなむとする説(甲賀郡志)があるがつまびらかでない。中世信楽庄に属し、建武四年(一三三七)四月二五日の山中道俊・同頼俊軍忠状案(山中文書)に「信楽調子郷」とみえ、同月一六日北朝方の土豪山中氏らの軍勢が、信楽谷に蜂起した南朝方と郷内岩倉いわくら城で合戦に及んでいる。


勅旨村
ちよくしむら

[現在地名]姫路市花田町勅旨はなだちようちよくし

飾東しきとう郡に所属。いち川左岸沿いに位置し、北は小川おがわ村。村名は古代の勅旨田に由来するといわれ、字深田ふかだに「勅旨垣内」という地があり、勅旨塚跡という(花田史誌)元禄郷帳に「勅旨ちやうし村」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。大庄屋支配は高木たかぎ村と同じ。正保郷帳に村名がみえ、田方二一一石余・畠方八五石余。天保(一八三〇―四四)頃の領内郷村高覚書(前橋市立図書館蔵酒井家資料)に免四ツ三分、本田高三七一石余・新田高七石余とある。元文二年(一七三七)の村明細帳(花田史誌)などによると家数五一、うち本百姓は五〇石以上一、一〇―三〇石八、一〇石以下二八、人数二八四、牛一七、女は冬春の手透きのとき木綿織をしていた。


勅旨村
ちよくしむら

[現在地名]岡山市兼基かねもと

苅田かんだ村の西にあり、西流する百間ひやつけん川北岸平地上に集落がある。北方せき村との境を山陽道が通り、邑久おく郡へ通じる道が分れる。分岐点には茶屋があり、分れの茶屋と称していたが、正徳年中(一七一一―一六)より追分の茶屋と呼び改めた(吉備温故秘録)。村名は古代の勅旨田に由来するとか(同書)孝謙天皇の病気平癒に力のあった報恩大師への勅使が当地に宿所を設けたことにちなむ(備前記)、などといわれる。寛永備前国絵図に村名がみえ、高五一三石余、正保郷帳では水損所と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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