北小路町(読み)きたこうじまち

日本歴史地名大系 「北小路町」の解説

北小路町
きたこうじまち

[現在地名]会津若松市大町おおまち一丁目・中町なかまち七日町なのかまち日新町につしんまち

おとな町の北に並び西へ行く通りで、長さ六町五〇間余・幅四間、家数一三八半。この西に長さ三一間・幅三間、家数五の北小路四谷きたこうじよつやが続き、小黒川おぐろがわ分の民居に通じる(新編会津風土記)。明治八年(一八七五)には家数一三〇・人数五八九(若松県地誌資料)。町の南側に秤座があり、「奥州一箇所の坪なり」と記される(新編会津風土記)


北小路町
きたこうじちよう

[現在地名]奈良市北小路町

内侍原なしはら町の北にあり、「奈良曝」に「町役十軒」「此町の前をなかるゝ川、鶯か谷とて名所なり。北小路殿といひし公家屋しきの跡なり」とある。西部にある慈眼じげん寺を観音堂ともいい、観音堂町ともいった。中世には上北小路・下北小路に分れ、南都七郷の一つ北御門きたみかど郷のうちに「下北少路」がみえ(「大乗院雑事記」文明一二年六月一九日条)、興福寺寺務の支配下にあったことがわかる。

「大乗院雑事記」には上北小路には薬師堂があったようで、文明一八年(一四八六)七月七日に門が焼けた記事がみえ、上北小路の畠一所が上屋講問の下地であった(延徳四年三月一九日条)


北小路町
きたこうじちよう

下京区北小路通油小路西入

東西に通る北小路通(旧北小路)を挟む両側町。狭小な町であるが、堀川通上ルに飛地をもつ。

平安京条坊では、左京七条二坊三保一一町南側と一二町北側の地。平安京の官設市場である東市ひがしのいちのちょうど東辺に位置する(拾芥抄)

近世には西本願寺寺内町となり、寺内九町組のうち住吉組に所属。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「太鼓番屋筋一丁目」とあるが、寛文五年(一六六五)刊「京雀」には、同じ通りに面する井筒町が旧名の「太鼓番屋筋三丁目」より現町名に改称されているにもかかわらず、旧名を残す「たいこのまへ町」の名を記す。


北小路町
きたこうじちよう

中京区両替町通夷川下ル

南北に通る両替町りようがえまち通の両側町。

平安京の条坊では、左京二条三坊三保一二町の中央の地にあたる。平安時代、当町域を中心に方一町は、後朱雀天皇皇后陽明門院禎子内親王の御所であった(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「北小路町」とあり、以降変化はない。町名由来は、寛文五年(一六六五)刊「京雀」には「この町そのかみ北小路殿といふ公家のすみ給へりとにや」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android