朝日日本歴史人物事典 「北条長時」の解説
北条長時
生年:寛喜2.2.27(1230.4.11)
鎌倉中・後期の武将。父は重時,母は平時親の娘,妻は北条時盛の娘。四郎と称す。左近将監,武蔵守,法名は専阿(観恵)。宝治1(1247)年父重時のあと六波羅探題となる。康元1(1256)年に執権時頼,連署重時があいついで出家したため,鎌倉に呼び戻され長時が幼い時宗の「代官」として6代執権となった。文永1(1264)年に出家し,鎌倉浄光明寺で死んだ。歌人でもあった。父重時が長時に与えた家訓『六波羅殿御家訓』『極楽寺殿御消息』は著名。奈良西大寺の叡尊が鎌倉下向のとき,母・妻と受戒。のち極楽寺に忍性が入り,菩提所浄光明寺とともに律宗寺院に改宗している。
(湯山学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報