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三田藩 さんだはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三田藩
さんだはん

江戸時代,摂津国 (大阪府) 有馬郡におかれた藩。山崎家盛2万 6000石に始る。山崎氏が因幡 (鳥取県) 若桜へ転出し,代って播磨 (兵庫県) 三木より有馬則頼2万石が転入。慶長7 (1602) 年則頼の子丹波 (京都府) 福知山有馬豊氏がこの地を相続。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

さんだはん【三田藩】

江戸時代摂津(せっつ)国有馬(ありま)郡三田(現、兵庫県三田市)に藩庁をおいた外様(とざま)藩、一時譜代(ふだい)藩。藩校は国光館、のち造士館。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)、東軍の武将だった有馬則頼(ありまのりより)が2万石で入封(にゅうほう)、立藩した。翌02年に則頼が死没、遺領は丹波(たんば)国福知山(ふくちやま)藩の藩主だった嫡男(ちゃくなん)の豊氏(とようじ)に与えられ、三田藩は廃藩となった。大坂の陣の戦功により、20年(元和(げんな)6)に豊氏が20万石で筑後(ちくご)国 久留米藩に移封(いほう)。26年(寛永(かんえい)3)に出羽(でわ)国上山(かみのやま)藩から松平重直(しげなお)(譜代)が3万石で入り三田藩が復活した。次いで33年に志摩(しま)国鳥羽(とば)藩から九鬼久隆(くきひさたか)が3万6000石で移され、以後は明治維新まで九鬼氏が13代続いた。幕末の戊辰(ぼしん)戦争では、藩論を倒幕で統一し、洋式軍隊を率いて参戦した。1871年(明治4)の廃藩置県により三田県を経て兵庫県に編入された。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三田藩
さんだはん

摂津(せっつ)国三田(兵庫県三田市)地方を領有した外様(とざま)の藩。1601年(慶長6)有馬則頼(ありまのりより)が播磨(はりま)国(兵庫県)三木(みき)から2万石で入封したが翌年死没、遺領は嫡子豊氏(とようじ)(丹波(たんば)国福知山藩主)に与えられて、いったん廃藩となった。1626年(寛永3)出羽(でわ)国(山形県)上山(かみのやま)から松平(能見(のみ))重直(しげなお)が3万石で移封され藩治を再興、33年九鬼久隆(くきひさたか)が志摩国(三重県)鳥羽(とば)から移されて3万6000石を領し、隆昌(たかまさ)、隆律(たかのり)、副隆(すえたか)、隆久、隆抵(たかやす)、隆由(たかより)、隆邑(たかむら)、隆張(たかはる)、隆国、隆徳(たかのり)、精隆(きよたか)、隆義と13代続いて明治維新を迎えた。山間部の小藩であるが、1742年(寛保2)には藩校国光館を開き、1818年(文政1)新たに造士館を開設して近代化に努めている。廃藩置県により三田県を経て兵庫県となる。[藤本 篤]

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