十倉村(読み)とくらむら

日本歴史地名大系 「十倉村」の解説

十倉村
とくらむら

[現在地名]綾部市十倉名畑なばたけ町・十倉むかい町・十倉中町なかまち・十倉志茂しも

上林かんばやし川の下流域に立地。東は念道小山ねんどこやま村、南はただつくだ武吉たけよし三ヵ村、南西は中山なかやまの山稜を境界とし、山家やまが村、北は八田やた郷。山家より若狭に通ずる若狭街道沿いに集落が発達している。中世は上林庄の地。天文二年(一五三三)の景綱譲状(渡辺家文書)に「十倉」とみえる。また「十倉と山家替々に御取被成候覚」(同文書)に「十倉村」とあり、戦国時代以来の村名であることが知られる。

江戸初期は山家藩領。慶長六年(一六〇一)の御知行方目録(山家藩庁文書)によれば高五八六・三三八石。寛永五年(一六二八)山家藩主谷衛友の孫衛清が二千石を分封され十倉の中村なかむらに陣屋を設けた。


十倉村
とくらむら

[現在地名]富里町十倉・御料ごりよう

現町域の南部、高崎たかさき川最上流域の丘陵地に位置し、江戸時代の佐倉牧の一つ高野こうや牧にあたる。明治五年(一八七二)に成立し、地名下総牧のうちで一〇番目に開墾されたことに由来する。明治維新の政変により、東京府下には下級武士・武家屋敷の奉公人など多くの失業者が生じ、新政府はこれらの窮民対策として小金こがね牧・佐倉牧の開墾に着手した。同三年に東京から、翌四年に埼玉から入植が始まり、同年一月には開墾予定耕地一千五〇〇町歩に対し八町五反歩が作付された(農務顛末)。同五年には一〇二世帯・三三六人が入植している(三井文庫)


十倉村
とくらむら

[現在地名]三田市十倉

酒井さかい村の東、大船おおふね山の北西裾野と谷間の段丘に立地する。西端を羽束はつか川が南流する。慶長国絵図に十倉村とみえ、高一四六石余。正保郷帳では高一七二石余。御領地雑事記(森本家文書)によれば家数五一・人数二五四、享保元年(一七一六)に十倉大池を利用して高八石余の新田を開墾していた。集落の広がる扇状地のほぼ中央に戦国期の森本氏が拠ったという十倉城跡や居館跡の土塁が残る。


十倉村
とくらむら

[現在地名]舞鶴市字十倉

伊佐津いさづ川の舞鶴平野部への出口の谷間にある散村。村内を京街道が通る。

慶長検地郷村帳に高九七・四九石「十倉村」とみえる。土目録でも同高で、内訳は田方九一石余、畑方六石余。延享三年(一七四六)の郡中高究付覚によれば農家戸数九の小村であった。丹後国加佐郡寺社町在旧記によれば、十倉村は加佐郡の村のうち暮し困難な村に属すとされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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