出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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千妙寺
せんみようじ
[現在地名]関城町黒子
天台宗、東睿山金剛寿院と号し、本尊は釈迦如来。寺伝によれば、初め筑波山麓の上野(現明野町)にあって承和寺と称し、貞観元年(八五九)に大恩寺と改称、のち南北朝初期の亮守の時に千妙寺と号したという。しかし当寺の歴史がようやく明らかになるのは、中興開山第一世とされ、三昧流の法流を当寺に伝えた亮守以降のことで、天正一二年(一五八四)一一月の正親町天皇綸旨(千妙寺文書)には、観応二年(一三五一)草創とある。事実、千妙寺の名が史料に現れるのはそれ以降で、三昧流由来事書(天台書籍綜合目録)の題下に「延文五年庚子六月晦日始見聞常州下妻黒子千妙寺ニテ亮澄之言亮海筆受」、十八道見聞(同書)の奥書に「応安四年辛亥六月上旬候、於常陸国下妻庄千妙寺、不顧愚短才(中略)先師亮澄法印ノ口筆」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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千妙寺【せんみょうじ】
茨城県関城(せきじょう)町(現・筑西市)にある天台宗の寺。本尊は釈迦如来。はじめ筑波山麓にあって承和(じょうわ)寺,次いで大恩(だいおん)寺と改称,1351年亮守が中興,以降伝法灌頂の道場として関東・奥羽の天台宗の中心寺として発展。戦国期古河(こが)公方家の祈願寺的存在であった。1600年天海(てんかい)の弟子亮甚(りょうじん)が入寺し,江戸期も栄えた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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