協同民主党(読み)きょうどうみんしゅとう

日本大百科全書(ニッポニカ)「協同民主党」の解説

協同民主党
きょうどうみんしゅとう

1946年(昭和21)5月24日、日本協同党が中心となり日向(ひゅうが)民主党、日本農本党などの小政党との合同によって生まれた中道派の政党。委員長山本実彦(さねひこ)、結党時の所属議員36名。立党の精神に協同組合主義をうたい、政策大綱でも「資本の独占と封建的要素の打破」を掲げるなど、資本主義と社会主義の中道を目ざす政策を展開し、戦前保守政治との絆(きずな)を断ち切れない自由・進歩両党と対比して、戦後政治における独自の位置を占めた。しかし同党はその後、党勢拡大を進めるなかでしだいにその性格をあいまいにし、1947年3月国民党との合同を図り、国民協同党となった。

[吉田健二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「協同民主党」の解説

協同民主党
きょうどうみんしゅとう

日本の政党。第2次世界大戦後に発足した中道政党の一つ。1946年5月,日本協同党,日向民主党,日本農本党の 3党が合同して結成された。同 1946年6月の国会開会時の所属衆議院議員 33人。委員長山本実彦。翌 1947年3月,国民党と合同し,国民協同党となって発展的に解消した。

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世界大百科事典内の協同民主党の言及

【国民党】より

…戦後最初の総選挙で一人一党,地方政党,中立の立場で当選した議員たちによって院内交渉団体新政会が構成されていた。新政会と協同民主党との最初の合流の試みは党名問題で不調に終わり,新政会の笹森順造,岡田勢一,早川崇ら34名の議員は1946年9月25日,国民党を結党した。47年3月8日,国民党と無所属クラブの協同民主党への合流が成立し,国民協同党が発足,国民党は同党右派となった。…

※「協同民主党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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