原六郎(読み)ハラ ロクロウ

20世紀日本人名事典 「原六郎」の解説

原 六郎
ハラ ロクロウ

明治・大正期の銀行家 第百国立銀行頭取;横浜正金銀行頭取。



生年
天保13年11月9日(1842年)

没年
昭和8(1933)年11月14日

出生地
但馬朝来郡佐囊村(兵庫県)

旧姓(旧名)
進藤

経歴
生家は豪農。弘化4年より深高寺住職について素読を習い、安政2年池田草庵の青谿書院に学ぶ。尊攘運動に参加。平野国臣親交を結び、文久3年生野挙兵に参加し、さらに長州藩兵として討幕運動に加わる。維新後欧米に留学して銀行論を学び、明治10年帰国。11年第百国立銀行創立に参加し頭取に就任。13年東京貯蓄銀行を創立、16年横浜正金国立銀行頭取となる。また、日本・台湾・勧業・興業各銀行創立委員をつとめ、日本の銀行業確立に功績を残した。この他、富士製紙、横浜船渠の社長、山陽、東武、北越各鉄道会社、東洋汽船、帝国ホテル等各社の重役歴任渋沢栄一安田善次郎大倉喜八郎、古河市兵衛と共に“5人男”と称され、実業界に重きをなした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「原六郎」の意味・わかりやすい解説

原六郎
はらろくろう
(1842―1933)

実業家。豪農進藤丈右衛門の六男として但馬(たじま)国(兵庫県)朝来(あさご)郡に生まれる。池田草庵の青谿(せいけい)学院に学び、志士と交わり尊王倒幕運動に加わる。明治維新後、欧米に留学し経済学や銀行業を学び、1878年(明治11)第百国立銀行を創立し頭取(とうどり)となる。80年東京貯蔵銀行を創立して貯蓄銀行に先鞭(せんべん)をつけ、さらに83年には横浜正金(しょうきん)銀行の第3代頭取に就任し同行の再建を果たした。また日本銀行、台湾銀行などの創立委員を歴任してわが国銀行業の確立に多大の業績を残したほか、各種企業の役員として財界でも有力な地位を占めた。後年いっさいの事業を養嗣子(ようしし)邦造に譲り、隠退してキリスト教に帰依(きえ)し宗教生活に余生を送った。

[浅野俊光]

『板沢武雄・米林富男著、原邦造編・刊『原六郎翁伝』全3巻(1937)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原六郎」の解説

原六郎 はら-ろくろう

1842-1933 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)13年11月9日生まれ。生野の変にかかわり,改名して追及をさける。維新後,欧米に留学し経済学,銀行論をまなぶ。明治11年第百国立銀行を創立し,16年横浜正金銀行頭取となった。東武鉄道,帝国ホテルなどの重役もつとめた。昭和8年11月14日死去。92歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。本名は進藤長政。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「原六郎」の解説

原 六郎 (はら ろくろう)

生年月日:1842年11月9日
明治時代;大正時代の実業家。第百国立銀行・横浜正金銀行各頭取
1933年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android