原阿佐緒(読み)はらあさお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「原阿佐緒」の意味・わかりやすい解説

原阿佐緒
はらあさお
(1888―1969)

歌人。宮城県黒川郡宮床(みやとこ)村(現大和(たいわ)町宮床字八坊原)に生まれる。原家は「塩屋」と号する土地の素封家。1903年(明治36)宮城県立高等女学校(現県立第一女子高校)を肋膜(ろくまく)炎のため中退。09年、『女子文壇』誌上与謝野晶子(よさのあきこ)に認められ新詩社入社。13年(大正2)アララギ入社。21年、同門の歌人で物理学者石原純(あつし)との恋愛問題により破門される。一貫して純情素朴な叙情歌を詠(うた)い上げた。『涙痕(るいこん)』(1913)、『白木槿(しろむくげ)』(1916)、『死をみつめて』(1921)、『うす雲』(1928)がある。1990年(平成2)郷里の大和町宮床に原阿佐緒記念館が開館した。

[小野勝美]

 生きながら針に貫かれし蝶(てふ)のごと悶(もだ)へつつなほ飛ばむとぞする

『『原阿佐緒全歌集』全1巻(1978・至芸出版社)』『『涙痕 歌集』(1988・短歌新聞社)』『『死をみつめて 歌集』(1995・短歌新聞社)』『小野勝美著『原阿佐緒の生涯』(1974・古川書房)』『辺見じゅん著『愛することと歌うこと――女流歌人・俳人の肖像』(1986・美術公論社)』『永畑道子著『花を投げた女たち――その五人の愛と生涯』(1990・文芸春秋)』『小野勝美編『原阿佐緒文学アルバム』(1990・至芸出版社)』『道浦母都子著『乳房のうたの系譜』(1995・筑摩書房)』『原阿佐緒記念館友の会編・刊『原阿佐緒のおもいで』(1996)』『西田耕三編『みやぎ文学館ライブラリー 原阿佐緒自伝・黒い絵具』(1997・耕風社)』『河北新報社編集局編『ふるさと文学散歩――作家たちが描いた東北の人と風景』(1997・河北新報社)』『瀬戸内晴美著『恋と芸術への情念――人物近代女性史』(講談社文庫)』『道浦母都子著『女歌の百年』(岩波新書)』

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20世紀日本人名事典 「原阿佐緒」の解説

原 阿佐緒
ハラ アサオ

明治〜昭和期の歌人



生年
明治21(1888)年6月1日

没年
昭和44(1969)年2月21日

出生地
宮城県黒川郡宮床村宮床(現・大和町宮床)

本名
浅尾

学歴〔年〕
宮城県立高女中退

経歴
庄屋に生まれて英才教育を受け、16歳頃から短歌に関心を持つ。のち上京して日本画を学ぶ。明治42年新詩社に入り「スバル」等に作品を発表、三ケ島葭子と共に将来を嘱望されたが、大正5年「アララギ」に転じた。同年処女歌集「涙痕」を出版したのをはじめ、昭和4年までに4つの歌集を出す。大正10年東北帝大教授・石原純との恋愛事件で一世を風靡したが、新聞などで非難されアララギを除名になる。しかし7年で破局を迎え、昭和3年故郷に戻る。その後上京し、銀座で酒場を開いたり、映画に出演するなどし、自由奔放な生き方を貫いて44年没。「原阿佐緒全歌集」がある。平成2年生家が“原阿佐緒記念館”として公開される。12年同館設立10周年を記念して原阿佐緒賞が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原阿佐緒」の解説

原阿佐緒 はら-あさお

1888-1969 明治-大正時代の歌人。
明治21年6月1日生まれ。42年与謝野(よさの)晶子にみとめられて新詩社にはいり,「スバル」などに歌を発表。大正2年「アララギ」に参加したが,10年同門の石原純との恋愛事件で破門された。昭和44年2月21日死去。80歳。宮城県出身。宮城高女中退。本名は浅尾。歌集に「涙痕(るいこん)」「白木槿(しろむくげ)」など。
格言など】捨つといふすさまじきことするまへに毒を盛れかし君思ふ子に(「涙痕」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「原阿佐緒」の解説

原 阿佐緒 (はら あさお)

生年月日:1888年6月1日
明治時代-昭和時代の歌人
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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