古井喜実(読み)フルイ ヨシミ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「古井喜実」の解説

古井 喜実
フルイ ヨシミ*


肩書
元・衆院議員(自民党)

生年月日
明治36年1月4日

出生地
鳥取県八頭郡郡家町

学歴
東京帝国大学法学部〔大正14年〕卒

経歴
内務省に入り、地方・警保各局長、茨城・愛知県各知事を経て、終戦時は内務次官。その後弁護士となり、昭和27年衆院議員に当選。池田内閣厚相大平内閣法相などを歴任し、日中国交正常化にも尽力した。当選11回。金権批判もするが、57年ロッキード事件に関し「首相には職務権限がない」と田中側主張を擁護する形の論文(「中央公論」4月号)を発表して話題をまいた。58年12月引退。その後は日中友好会館会長として両国の交流促進に努めた。

所属団体
日本公法学会

受賞
勲一等瑞宝章〔昭和48年〕 勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕 人民友好使者(中国人民対外友好協会)〔平成3年〕 東京都名誉都民〔平成5年〕

没年月日
平成7年2月3日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「古井喜実」の解説

古井 喜実
フルイ ヨシミ

昭和期の政治家 元・衆院議員(自民党)。



生年
明治36(1903)年1月4日

没年
平成7(1995)年2月3日

出生地
鳥取県八頭郡郡家町

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和48年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和57年〕,人民友好使者(中国人民対外友好協会)〔平成3年〕,東京都名誉都民〔平成5年〕

経歴
内務省に入り、地方・警保各局長、茨城・愛知県各知事を経て、終戦時は内務次官。その後弁護士となり、昭和27年衆院議員に当選。池田内閣厚相、大平内閣法相などを歴任し、日中国交正常化にも尽力した。当選11回。金権批判もするが、57年ロッキード事件に関し「首相には職務権限がない」と田中側主張を擁護する形の論文(「中央公論」4月号)を発表して話題をまいた。58年12月引退。その後は日中友好会館会長として両国の交流促進に努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古井喜実」の意味・わかりやすい解説

古井喜実
ふるいよしみ

[生]1903.1.4. 鳥取
[没]1995.2.3. 東京
政治家。東京大学を卒業。内務省に入る。 1945年内務次官。公職追放解除後,1952年衆議院議員に当選。 1960年池田勇人内閣の厚生大臣。 1961年,「健康とイデオロギーは無関係」と自由民主党反対を抑えてソ連から小児麻痺予防の生ワクチンの緊急輸入を決断,話題を呼んだ。また 1959年松村謙三に同行訪中して以来日中国交回復全力を注ぎ,覚え書貿易の維持,日中記者交換,国交正常化準備に尽力した。 1978年大平正芳内閣の法相。 1982年政界引退。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古井喜実」の解説

古井喜実 ふるい-よしみ

1903-1995 昭和時代官僚,政治家。
明治36年1月4日生まれ。大正14年内務省にはいり,終戦直後に内務次官となる。公職追放解除後,昭和27年衆議院議員(当選11回,自民党)。第2次池田内閣の厚相,第1次大平内閣の法相を歴任。34年に訪中してのち,日中友好につくす。平成7年2月3日死去。92歳。鳥取県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古井喜実」の解説

古井 喜実 (ふるい よしみ)

生年月日:1903年1月4日
昭和時代の政治家。衆議院議員;日中友好会館会長
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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