松村謙三(読み)まつむらけんぞう

精選版 日本国語大辞典 「松村謙三」の意味・読み・例文・類語

まつむら‐けんぞう【松村謙三】

政治家富山県出身。東久邇内閣の厚相兼文相幣原内閣農相の折、第一次農地改革推進した。以後文相などを歴任、日中友好回復に尽力した。明治一六~昭和四六年(一八八三‐一九七一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「松村謙三」の意味・読み・例文・類語

まつむら‐けんぞう〔‐ケンザウ〕【松村謙三】

[1883~1971]政治家。富山の生まれ。新聞記者を経て衆議院議員。第二次大戦後、農相として農地改革に着手した。日中国交正常化に尽力。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松村謙三」の意味・わかりやすい解説

松村謙三
まつむらけんぞう
(1883―1971)

政治家。富山県福光(ふくみつ)町(現、南砺(なんと)市)出身。早稲田(わせだ)大学を卒業、『報知新聞』記者、富山県県会議員を経て、1928年(昭和3)の第1回普通選挙で衆議院議員に当選、以後1946~1951年(昭和21~26)の公職追放期間を除いて、1969年に第一線を引退するまで連続当選。戦後、東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣の厚相兼文相、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣の農相に就任、第一次農地改革を推進した。追放解除後は吉田茂の官僚政治に対抗、1955年の保守合同には「野合」として反対、1959年自民党総裁選では岸信介(のぶすけ)と対決するなど、清廉な、ほねのある保守政治家であった。改進党幹事長、鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣文相を歴任。1959年の訪中以来、一貫して日中友好に努力両国のパイプ役として貴重な存在であった。

[宮﨑 章]

『松村謙三著『三代回顧録』(1964・東洋経済新報社)』『田川誠一著『松村謙三と中国』(1972・読売新聞社)』『木村時夫編著『松村謙三』伝記編上下、資料編(1999・桜田会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「松村謙三」の意味・わかりやすい解説

松村謙三【まつむらけんぞう】

政治家。富山県出身。早大卒。報知新聞記者,富山県議を経て1928年衆院議員。第2次大戦中大政翼賛会政調会長,戦後東久邇(ひがしくに)内閣厚相兼文相,幣原(しではら)内閣農相。公職追放をうけたが1951年解除。1953年改進党幹事長,1954年日本民主党結成に参加,1955年文相。1959年自由民主党総裁に立候補したが敗れ,以後反主流を貫く。日中国交回復に努力,1962年以降しばしば訪中。とくに日中貿易(日中覚書貿易)に大きな役割を果たした。1969年政界を退くまで衆院当選13回。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松村謙三」の意味・わかりやすい解説

松村謙三
まつむらけんぞう

[生]1883.1.24. 富山
[没]1971.8.21. 東京
政治家。早稲田大学卒業後,新聞記者となった。1928年衆議院議員に初当選以来,追放中の 3回の総選挙を除き連続当選。1969年引退。この間,東久邇内閣の厚生大臣,幣原内閣の農林大臣,鳩山内閣の文部大臣を歴任。改進党幹事長となった。第2次世界大戦敗戦直後に第1次農地改革を積極的に推進,実践し,その後日中友好・国交回復に尽力した。官僚政治,金権政治を排斥し,清貧,廉潔の党人政治家として知られた(→党人派)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村謙三」の解説

松村謙三 まつむら-けんぞう

1883-1971 大正-昭和時代の政治家。
明治16年1月24日生まれ。報知新聞記者,富山県議をへて,昭和3年衆議院議員(当選13回)。戦後,東久邇(ひがしくに)内閣の厚相兼文相。幣原(しではら)内閣の農相として第1次農地改革を推進。第2次鳩山内閣の文相。34年岸信介と自民党総裁選挙をあらそう。のちLT貿易協定をまとめるなど,日中友好につくした。昭和46年8月21日死去。88歳。富山県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android