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古筆了佐 こひつ りょうさ

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美術人名辞典の解説

古筆了佐

平沢氏、範佐、古筆家の祖。寛文2年(1662)歿、81才。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

こひつ‐りょうさ〔‐レウサ〕【古筆了佐】

[1572~1662]桃山時代から江戸前期の古筆鑑定家。古筆家の祖。近江(おうみ)の人。本名、平沢弥四郎。出家して了佐。近衛前久(このえさきひさ)烏丸光広(からすまるみつひろ)に古筆鑑定を学ぶ。豊臣秀次から「古筆」の姓と「琴山」の極印(きわめいん)とを与えられた。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

古筆了佐 こひつ-りょうさ

1572-1662 織豊-江戸時代前期の古筆鑑定家。
元亀(げんき)3年生まれ。古筆家の祖。茶の湯,書にしたしみ,烏丸(からすまる)光広に和歌をまなぶ。茶道の隆盛とともに愛好者がふえた古筆の鑑定を近衛前久(さきひさ)にならい家業とした。豊臣秀次(ひでつぐ)から古筆の姓と琴山の印をあたえられ,代々つたえた。寛文2年1月28日死去。91歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。姓は平沢。名は節世。通称は弥四郎。別号に正覚庵櫟材。

出典|講談社
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世界大百科事典 第2版の解説

こひつりょうさ【古筆了佐】

1572‐1662(元亀3‐寛文2)
桃山~江戸時代の古筆鑑定家。近江国に生まれる。姓は平沢,初名を弥四郎,のち範定あるいは節世と改め,出家して了佐という。古筆の鑑定は室町末期には古筆に詳しい僧侶や公家が人々にたのまれて行っていたが,桃山期以降その鑑賞が盛んになるにつれて古筆鑑定をその職業とする者が出てきた。それが古筆家の初代,了佐である。彼は初め近衛前久,烏丸光広らに和歌などの教えをうけ,やがて古筆鑑定を専業とするに至る。また,豊臣秀次に召されて,〈琴山〉の金印を賜り古筆の姓をうけたと伝える。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

こひつりょうさ【古筆了佐】

1582~1662) 安土桃山・江戸前期の古筆鑑定家。近江の人。本名、平沢弥四郎。近衛前久に書画の鑑定を、烏丸光広に連歌を学ぶ。茶道にも通じた。「古筆」の姓と「琴山」号の鑑定証印を関白豊臣秀次から賜り、明治維新まで一子相伝した。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の古筆了佐の言及

【筆跡鑑定】より

…実務上は筆跡間の相同性と相違性を追求するための体系の技術として存在するが,学問的には筆跡と書字運動の一部が文字として固定化したものとしてとらえた研究が進められている。筆跡の鑑定は,安土桃山時代に豊臣秀次から〈古筆〉の苗字を与えられたと伝えられる古筆見(古筆家)古筆了佐が〈古筆手鑑〉との対照によって筆跡の真偽や作者を見分けたのが始まりといわれる。それが代々引き継がれ,明治に入ってからも裁判所用の鑑定は師匠から免許皆伝を受けた古筆了悦,古筆了仲らの古筆家によって行われている。…

※「古筆了佐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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