古筆了佐(読み)コヒツリョウサ

デジタル大辞泉 「古筆了佐」の意味・読み・例文・類語

こひつ‐りょうさ〔‐レウサ〕【古筆了佐】

[1572~1662]桃山時代から江戸前期の古筆鑑定家。古筆家の祖。近江おうみの人。本名平沢弥四郎。出家して了佐近衛前久このえさきひさ烏丸光広からすまるみつひろに古筆鑑定を学ぶ。豊臣秀次から「古筆」の姓と「琴山」の極印きわめいんとを与えられた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「古筆了佐」の意味・わかりやすい解説

古筆了佐 (こひつりょうさ)
生没年:1572-1662(元亀3-寛文2)

桃山~江戸時代の古筆鑑定家。近江国に生まれる。姓は平沢,初名を弥四郎,のち範定あるいは節世と改め,出家して了佐という。古筆の鑑定は室町末期には古筆に詳しい僧侶や公家が人々にたのまれて行っていたが,桃山期以降その鑑賞が盛んになるにつれて古筆鑑定をその職業とする者が出てきた。それが古筆家の初代,了佐である。彼は初め近衛前久,烏丸光広らに和歌などの教えをうけ,やがて古筆鑑定を専業とするに至る。また,豊臣秀次に召されて,〈琴山〉の金印を賜り古筆の姓をうけたと伝える。以後代々〈琴山〉を極印(きわめいん)とし鑑定を業とする古筆の宗家として栄え近代に及んだ。江戸時代には幕府から屋敷を拝領し,当時の人々から〈古筆見〉と呼ばれた。依頼に応じて鑑定結果を記し,〈琴山〉印を押した短冊形の紙片は極札(きわめふだ)と呼ばれ,伝来や古筆の格付けを知る上で貴重なものである。しかし筆者の真偽鑑定は,今日の方法とは異なっている。《古筆名葉集》(1804)は古筆家から発行された〈古筆手鑑〉の案内書ともいうべきもので,たびたび刊行を重ね現存するものも多い。今日,われわれが知る古筆切名称は古筆分家系の了体の《増補古筆名葉集》(1858)によるところが大きい。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古筆了佐」の解説

古筆了佐 こひつ-りょうさ

1572-1662 織豊-江戸時代前期の古筆鑑定家。
元亀(げんき)3年生まれ。古筆家の祖。茶の湯,書にしたしみ,烏丸(からすまる)光広に和歌をまなぶ。茶道隆盛とともに愛好者がふえた古筆の鑑定を近衛前久(さきひさ)にならい家業とした。豊臣秀次(ひでつぐ)から古筆の姓と琴山の印をあたえられ,代々つたえた。寛文2年1月28日死去。91歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。姓は平沢。名は節世。通称は弥四郎。別号に正覚庵櫟材。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「古筆了佐」の意味・わかりやすい解説

古筆了佐
こひつりょうさ

古筆

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の古筆了佐の言及

【筆跡鑑定】より

…実務上は筆跡間の相同性と相違性を追求するための体系の技術として存在するが,学問的には筆跡と書字運動の一部が文字として固定化したものとしてとらえた研究が進められている。筆跡の鑑定は,安土桃山時代に豊臣秀次から〈古筆〉の苗字を与えられたと伝えられる古筆見(古筆家)古筆了佐が〈古筆手鑑〉との対照によって筆跡の真偽や作者を見分けたのが始まりといわれる。それが代々引き継がれ,明治に入ってからも裁判所用の鑑定は師匠から免許皆伝を受けた古筆了悦,古筆了仲らの古筆家によって行われている。…

※「古筆了佐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android