吉武高木遺跡(読み)よしたけたかぎいせき

日本歴史地名大系 「吉武高木遺跡」の解説

吉武高木遺跡
よしたけたかぎいせき

[現在地名]西区吉武

弥生時代の埋葬遺構を主体とする遺跡。吉武遺跡群のうちでもっとも南側に位置する。昭和五九年度の調査で、約三五〇平方メートルの範囲で木棺墓四基、甕棺墓三四基(成人棺一六基・小児棺一八基)が確認された。このうち木棺墓と成人用甕棺は、ほぼ同一の主軸方向で整然と配されている。また甕棺のサイズは一般的な成人棺と比べ大型である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「吉武高木遺跡」の解説

よしたけたかぎいせき【吉武高木遺跡】


福岡県福岡市西区吉武にある墳墓群。早良(さわら)平野の中央部を貫流する室見川の中流左岸に立地する。一帯は旧石器時代から中世にいたる吉武遺跡群と呼ばれる複合遺跡を形成しており、弥生時代前期末~中期後半の甕棺(かめかん)を主体とした墓地である吉武大石遺跡、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡(ひわたし)遺跡がある。吉武高木遺跡は、遺跡群の南端部に位置し、1984年(昭和59)からの調査で350m2の範囲から、甕棺墓34基、木棺墓4基、土坑墓3基が発見され、そのうちの甕棺墓と木棺墓11基から銅剣銅矛などの武器類、多鈕(たちゅう)細文鏡、銅釧(どうくしろ)、翡翠製勾玉(まがたま)などの玉類が出土した。2号木棺墓は、長さ4.8m、幅3.5mの長大な墓坑に、長さ2.5mの割り竹形木棺を納めた痕跡が残り、3号木棺墓は2号より小規模ではあるが、硬玉製勾玉1点と碧玉(へきぎょく)製管玉(くだたま)95点からなる頸飾りが副葬されており、他を圧倒する内容の副葬品をもっていた。墓域の西側に成人の墓が北東に向いて整然と並び、その東側に小児の墓が造られていた。北部九州では弥生時前期末~中期初頭になると、朝鮮半島から伝わった青銅武器が副葬品として見られるようになり、この遺跡では朝鮮半島起源をもつ多鈕細文鏡も出ているところから、被葬者の半島との関係の深さが暗示される。1993年(平成5)に国の史跡に指定された。出土遺物は重要文化財に指定され、福岡市博物館に展示されている。遺跡の東、約50mからは12.5m×9.6mの身舎に庇がついた大型の掘立柱建物と高床倉庫が発見されており、被葬者の居館の一部と目されている。JR筑肥線姪浜(めいのはま)駅から西鉄バス「吉武」下車、徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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