吉田文吾(読み)ヨシダ ブンゴ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田文吾」の解説

吉田 文吾(5代目)
ヨシダ ブンゴ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

本名
高橋 輝雄(タカハシ テルオ)

別名
前名=吉田 小玉

生年月日
昭和9年 5月3日

出生地
大阪府 大阪市

経歴
昭和26年17歳の時に2代目吉田玉五郎に入門、吉田小玉を名乗る。27年「新吉原揚屋」で初舞台。女形修業をしていたが、やがて立ち役に転向。力強く勢いのある芸風でどちらもこなす代表格となり、57年江戸末期に4代続いた吉田文吾の名跡襲名。55年作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童とのコンビでロックによる「曽根崎心中」を初演、話題を呼び再演を重ねるなど、ロックやクラシックとの共演も図った。37年米国人タレントのイーデス・ハンソンと結婚したが、40年離婚した。

受賞
国立劇場文楽賞(優秀賞 第21回 平13年度)

没年月日
平成20年 1月16日 (2008年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田文吾」の解説

吉田文吾(3代) よしだ-ぶんご

?-1827 江戸時代中期-後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
2代吉田文三郎門弟。宝暦12年大坂竹本座に出演,明和8年豊竹座に転じて立者(たてもの)となる。文化元年3代文吾を襲名。4年3代吉田三郎兵衛を襲名したが,翌年文吾にもどった。文政10年8月25日死去。前名は菊竹右蔵,筑竹右蔵,吉田右蔵(造)。

吉田文吾(4代) よしだ-ぶんご

?-? 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
初代吉田右蔵(3代吉田文吾)の門弟。文政12年(1829)大坂の御霊(ごりょう)文楽座の立者(たてもの)となり,天保(てんぽう)元年4代文吾を襲名。弘化(こうか)のころ引退し,嘉永(かえい)末ごろ没したという。前名は2代吉田右蔵(造)。

吉田文吾(2代) よしだ-ぶんご

?-? 江戸時代中期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
初代吉田文三郎の子。初代吉田文吾(2代文三郎)の弟。大坂の人。宝暦12年(1762)2代文吾をつぐ。亡父の十三回忌追善興行をし,のち石川五右衛門(ごえもん)役などで評判をとる。寛政2年(1790)以後の活動は不明。前名は吉田大三郎。

吉田文吾(初代) よしだ-ぶんご

吉田文三郎(よしだ-ぶんざぶろう)(2代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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