吉田辰五郎(読み)ヨシダ タツゴロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田辰五郎」の解説

吉田 辰五郎(5代目)
ヨシダ タツゴロウ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

本名
天満 徳三郎

別名
前名=吉田 玉徳

生年月日
明治30年 12月28日

出生地
大阪府 大阪市

経歴
明治39年吉田玉松(3代目玉造)に入門、41年玉徳の名で堀江座初舞台。次いで近松座、大正4年師匠と一緒に御霊文楽座に移った。一時退座して寄席などに出たが、文楽座に戻って端役を続けた。昭和23年の2派分裂の際、組合派に属し、立役遣いがいないため、松王光秀など大役を担当した。26年5代目辰五郎を襲名、2代目桐竹紋十郎の相手役を務めた。文楽協会発足後は老役に回った。

没年月日
昭和48年 4月2日 (1973年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田辰五郎」の解説

吉田 辰五郎(5代目)
ヨシダ タツゴロウ

大正・昭和期の文楽人形遣い



生年
明治30(1897)年12月28日

没年
昭和48(1973)年4月2日

出生地
大阪市

本名
天満 徳三郎

別名
前名=吉田 玉徳

経歴
明治39年吉田玉松(3代目玉造)に入門、41年玉徳の名で堀江座初舞台。次いで近松座、大正4年師匠と一緒に御霊文楽座に移った。一時退座して寄席などに出たが、文楽座に戻って端役を続けた。昭和23年の2派分裂の際、組合派に属し、立役遣いがいないため、松王や光秀など大役を担当した。26年5代目辰五郎を襲名、2代目桐竹紋十郎の相手役を務めた。文楽協会発足後は老役に回った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田辰五郎」の解説

吉田辰五郎(5代) よしだ-たつごろう

1897-1973 大正-昭和時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
明治30年12月28日生まれ。初代吉田玉松(3代玉造)に入門,玉徳を名のる。昭和26年5代を襲名。戦後三和会に所属し,立役(たちやく)をつとめるが,晩年は老役(ふけやく)にまわった。昭和48年4月2日死去。75歳。大阪出身。本名は天満徳三郎。

吉田辰五郎(初代) よしだ-たつごろう

?-? 江戸時代中期-後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
2代吉田文三郎の門下明和より出座,はじめ立役(たちやく)であったが,のち女方に転じる。寛政11年から人形頭取をつとめたが,文化2年(1805)「仮名手本忠臣蔵」の顔世(かおよ)御前最後に名がみえない。

吉田辰五郎(2代) よしだ-たつごろう

?-1844 江戸時代後期の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
初代吉田辰五郎の子。卯造,辰造をへて,文化14年2代を襲名。文化・文政期の代表的女方で,「娘道成寺」「葛の葉」などの早替わりや七変化所作を得意とした。天保(てんぽう)15年5月27日死去。

吉田辰五郎(3代) よしだ-たつごろう

?-1890 幕末-明治時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
2代吉田才治(さいじ)の門弟。安政4年3代辰五郎を襲名。立役(たちやく)と女方をかねた。明治17年彦六座の人形座頭(ざがしら)となる。早替わり,宙づりを得意とした。明治23年8月死去。

吉田辰五郎(4代) よしだ-たつごろう

?-1927 明治-大正時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
3代吉田辰五郎の門弟。駒十郎から大正6年4代を襲名。立役(たちやく)荒物などを得意とした。昭和2年6月16日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉田辰五郎」の解説

吉田 辰五郎(5代目) (よしだ たつごろう)

生年月日:1897年12月28日
大正時代;昭和時代の人形浄瑠璃の人形遣い
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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