コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

吉野秀雄 よしの ひでお

7件 の用語解説(吉野秀雄の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

吉野秀雄

歌人。会津八一門下。群馬県生。慶大中退。『寒蝉集』『砂丘』等の歌集がある。昭和34年には『吉野秀雄歌集』により読売文学賞を受賞。良寛や万葉集の研究もある。昭和42年(1967)歿、65才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

吉野秀雄【よしのひでお】

歌人。群馬県生れ。慶応義塾大中退。会津八一に私淑。胸を病み療養生活を続けながら作歌,真率な自然・人事詠を残した。その歌境の高さは同時代に類を見ないといわれる。歌集《苔径集》《寒蝉集》《吉野秀雄歌集》等のほか,良寛研究でも知られ,《良寛歌集》《良寛和尚の人と歌》などの著がある。
→関連項目山口瞳

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉野秀雄 よしの-ひでお

1902-1967 昭和時代の歌人。
明治35年7月3日生まれ。肺結核をやみ慶大を中退。会津八一(あいづ-やいち)に師事。生涯病とたたかいながら作歌をつづけ,昭和34年「吉野秀雄歌集」で読売文学賞,42年迢空(ちょうくう)賞,43年「含紅集」で芸術選奨。良寛や「万葉集」の研究もある。昭和42年7月13日死去。65歳。群馬県出身。歌集はほかに「寒蝉(かんせん)集」など。
【格言など】病む妻の足頸(あしくび)にぎり昼寝する末の子をみれば死なしめがたし(「寒蝉集」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

よしのひでお【吉野秀雄】

1902‐67(明治35‐昭和42)
歌人。群馬県高崎市の織物問屋の家に生まれ,慶応義塾理財科(経済学部の前身)に進んだが,肺患にかかって中退。病床で正岡子規の作品,歌論を読んで感激したことが契機となって作歌を始め,これ以後,宿痾との闘いをとおしてみずからも万葉調,写生説の実践をつづけていった。やがて会津八一の門人となり,この狷介孤高の師の影響下に学芸の素養を深め,私家版の歌集を出すことはあっても,あり余る才能を広く世に問うことをあえて自制していたが,第2次大戦後に歌集《寒蟬(かんせん)集》(1947)を刊行,歌壇にデビューしたときにはすでに大家の風を樹立し畢(おお)せていた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

よしのひでお【吉野秀雄】

1902~1967) 歌人。群馬県生まれ。慶応義塾中退。生涯病と闘いながら、自然な人間感情の流露を歌う。妻の死を詠む絶唱を含む歌集「寒蟬集」ほか、良寛研究の著書もある。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉野秀雄
よしのひでお

[生]1902.7.3. 高崎
[没]1967.7.13. 鎌倉
歌人。 1924年慶應義塾大学経済学部を病気のため中退,独学で国文学を学んだ。短歌に関心を寄せ,会津八一に傾倒した。 36年頃,鎌倉短歌会を創立,52年以降歌誌『砂丘』の選を担当。心情の機微をうたった作が多く,歌集『苔径集』 (1936) ,『寒蝉集』 (49) ,『吉野秀雄歌集』 (58) などがある。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉野秀雄
よしのひでお
(1902―1967)

歌人。群馬県生まれ。慶応義塾大学経済学部を肺患のため中退。故郷にて療養中に正岡子規(しき)、伊藤左千夫(さちお)ら『アララギ』歌人の歌に影響され作歌を志す。1926年(昭和1)、栗林はつと結婚。1981年、療養のため鎌倉に転地、永住の地となる。のち秋艸道人(しゅうそうどうじん)(会津八一(あいづやいち))の歌集『南京新唱(なんきょうしんしょう)』に感動し、1933年より師事、終生の師とする。1946年12月刊の『創元』創刊号に「短歌百余章」を発表、妻の死に際しての性愛を歌いあげた絶唱によって、吉野秀雄の名を一躍世に知らしめた。戦後しばらく鎌倉アカデミア文学部の教師を務めるも、生涯を死と接して病躯(びょうく)を生きた秀雄は、万葉調を基調にして東洋的生命観を深めた醇乎(じゅんこ)たる独自の作風をつくりあげた。さらに1947年の『早梅集(そうばいしゅう)』『寒蝉集(かんせんしゅう)』刊行のころより、生命の究極を見つめた自在な境地を展開した。『吉野秀雄歌集』により読売文学賞受賞。歌集『含紅集(がんこうしゅう)』により芸術選奨受賞。[日高堯子]
 彼の世より呼び立つるにやこの世にて引き留(と)むるにや熊蝉(くまぜみ)の声
『『吉野秀雄全集』全9巻(1969~70・筑摩書房) ▽山口瞳著『小説・吉野秀雄先生』(1969・文芸春秋) ▽片山貞美著『吉野秀雄の秀歌』(1977・短歌新聞社) ▽吉野登美子著『わが胸の底ひに』(1978・弥生書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

吉野秀雄の関連キーワード群馬県高崎市井出町群馬県高崎市上滝町群馬県高崎市栄町群馬県高崎市高松町群馬県高崎市寺尾町群馬県高崎市通町群馬県高崎市問屋町群馬県高崎市問屋町西群馬県高崎市八島町群馬県高崎市八幡町

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

吉野秀雄の関連情報