百科事典マイペディア 「同和対策事業特別措置法」の意味・わかりやすい解説
同和対策事業特別措置法【どうわたいさくじぎょうとくべつそちほう】
→関連項目部落解放運動
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
1965年(昭和40)に出された同和対策審議会の答申にそって69年に制定された法律。略称同対法。同和地区住民の「社会的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消」するために,同和地区の生活・福祉・産業・職業・教育環境の抜本的な改善をめざした。10年間の時限法。のち3年延長され82年に廃止。国・地方あわせて約5兆円の同和対策事業費が支出されて同和地区の環境は改善されたが,被差別部落問題の根本的解決には至っていない。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…このいわゆる同対審答申は,部落差別問題が日本国憲法の理念である基本的人権にかかわる問題であり,その早急な解決が国の責務であり同時に国民的課題であるとの認識に立って,環境改善,社会福祉,産業・職業・教育問題,人権問題など同和対策の具体案を示し,また同和対策の方向として特別措置法の制定,推進機構の設置,国の財政的補助,総合計画の策定などをあげた。この答申にもとづいて69年に〈同和対策事業特別措置法〉が制定され(10ヵ年の時限立法,1979年に3ヵ年延長),こうして69年から82年までに国家予算としては総額1兆7168億5200万円が組まれて,同和対策事業が推進された。答申および同法は,部落解放運動が実現させた成果であったが,同時に政府がその高度経済成長政策の中で部落差別問題の解消を図ろうとした面を持ち,さらに実際の運用においては,国に比して地方公共団体の財政負担が大きいなどの問題を内包していた。…
…おりしも,〈単独講和〉による日本独立の年であった。
[〈行政闘争〉と〈同和対策事業特別措置法〉]
同じく1951年に起こった京都市の〈オール・ロマンス事件〉は,戦後の部落解放運動の方向を基本的に規定するほどの重みをもつ事件であった。これは,京都市職員が《オール・ロマンス》という雑誌の同年10月号に載せた〈暴露小説・特殊部落〉が被差別部落に対する差別意識を露骨に示すものとして,部落解放委員会京都府連合会の活動家たちの注目を浴びたのに端を発した。…
※「同和対策事業特別措置法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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