向川原村(読み)むかいがわらむら

日本歴史地名大系 「向川原村」の解説

向川原村
むかいがわらむら

[現在地名]中原区下沼部しもぬまべ

荏原えばら世田谷せたがや下沼部村(現東京都大田区)の飛地。東は多摩川を境とし、北は上丸子かみまりこ村、南は中丸子なかまりこ村と接する。本村の小字向河原むかいがわらにあたり(風土記稿)、元禄郷帳に「下沼部村之枝郷向川原村」とみえる。近世を通し幕府直轄領。化政期(一八〇四―三〇)の家数一五(風土記稿)


向川原村
むかいかわらむら

[現在地名]川北町朝日あさひ

朝日村の西、手取川下流北岸に立地。正保郷帳によれば高一八三石余、田方九町余・畑方一町七反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高二二三石、免三ツ七歩、小物成は川役五匁(三箇国高物成帳)。天保一三年(一八四二)の村御印物成等書上帳によると散小物成として板船櫂役を負担。明暦二年(一六五六)五石の新開高があったが、一方、検地引高が天和二年(一六八二)に一〇七石、元禄四年(一六九一)に五一石、同七年に三三石あった。また宝永三年(一七〇六)に四石、同六年に一〇石、享保元年(一七一六)に五石、同一七年に三石の手上高があった。


向川原村
むこうがわらむら

[現在地名]梁川町向川原

二野袋にのふくろ村・塚原つかはら村の西、阿武隈川右岸の村。村名は西の伊達崎だんざき(現桑折町)の川向うに位置することによるという。寛文(一六六一―七三)の頃成立したとみられ、古高新高帳によれば、米沢藩領時代の古高五四五石余、幕府検地による新高五三四石余。領主変遷は寛政一二年(一八〇〇)から天保二年(一八三一)まで備中足守藩領であったことを除けば、二野袋村と同じ。村境がちょうど阿武隈川の蛇行湾曲する流れに沿っているため、しばしば洪水によって水損が生じた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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