日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉澄」の意味・わかりやすい解説
呉澄
ごちょう
(1249―1333)
中国、元(げん)代の思想家。字(あざな)は幼清(ようせい)、号は草廬(そうろ)。江西省崇仁県の人。豊かな学殖のために元朝の名臣程文海(ていぶんかい)(1249―1318)の知遇を得て特別の抜擢(ばってき)を受け、学界、官界で重きをなした。思想的には朱子学を中核に据えながらも、それが固陋(ころう)に陥るのを避けるために、陸象山(りくしょうざん)(九淵)の心学を導入して活性化を図った。のち、朱陸論が盛んになると、朱陸折衷論の先駆者と評価された。経書研究にも優れ、元代の名著とされる『五経纂言(さんげん)』を著し、清代考証学の先駆をなした。また異民族王朝に仕えたために、その出処進退はとかく手厳しい評価を受けた。
[田公平 2016年2月17日]