デジタル大辞泉
「呉茂一」の意味・読み・例文・類語
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呉 茂一
クレ シゲイチ
昭和期の西洋古典文学者 東京大学教授。
- 生年
- 明治30(1897)年12月6日
- 没年
- 昭和52(1977)年12月28日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学英文科〔大正14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 読売文学賞(第10回・研究翻訳賞)〔昭和34年〕「イーリアス」,日本翻訳文化賞〔昭和48年〕「花冠―呉茂一訳詩集」,勲三等旭日中綬章,イタリア共和国功労勲章,ギリシア共和国フェニックス勲章
- 経歴
- 大正15年から昭和3年にかけて、イギリス、オーストリアに学び、西洋古典文学を研究。帰国後、東大講師になるが、病気のため7年辞任。後に一高教授を経て、24年東大教授に就任。33年名大教授、38年駐イタリア公使兼ローマ日本文化会館館長、41年上野学園大教授。ほかに日本西洋古典学会初代代表者などを務めた。「ギリシャ神話」を体系的にまとめたほか、「イーリアス」「オデュッセイア」などの翻訳がある。また抒情詩の翻訳にもすぐれ、その主要な作品は「花冠」にまとめられている。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
呉茂一
くれしげいち
[生]1897.12.6. 東京
[没]1977.12.28. 藤沢
西洋古典文学者。呉秀三の長男。 1925年東京大学英文科卒業。 26~28年イギリスとオーストリアに留学,古典学を学んだ。第一高等学校教授を経て,49年東大文学部教授。 63~66年ローマの日本文化会館初代館長をつとめた。ギリシア・ラテン文学に関する造詣が深く,神話の構造を分析した『ギリシア神話』 (1969) をはじめ,『イーリアス』 (53~58) ,『ギリシャ抒情詩選』 (59) ,『オデュッセイアー』 (71~72) など訳著も多い。
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呉茂一
くれしげいち
(1897―1977)
西洋古典学者。東京生まれ。東京帝国大学英文科卒業。日本の精神病学を確立した呉秀三の長男。イギリス、オーストリアに留学後、旧制第一高等学校教授となる。ギリシア、ラテン文学に造詣(ぞうけい)が深く、とくにギリシア神話の体系的研究と啓蒙(けいもう)に力を注いだ。『イーリアス』(1953~58)、『オデュッセイア』(1971~72)のほか、ギリシア悲劇・喜劇をはじめ、叙情詩の翻訳多数。著書に、名訳とうたわれた『花冠』(1973)、随想集『アクロポリスの丘に立って』(1976)など。なお1963年から4年間、ローマの日本文化会館館長を務めた。
[岩崎武夫]
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呉茂一 くれ-しげいち
1897-1977 昭和時代の西洋古典文学者。
明治30年12月6日生まれ。呉秀三の長男。ヨーロッパでギリシャ・ラテン文学をまなぶ。昭和24年東大教授。33年名大教授。38年在ローマ日本文化会館館長。ギリシャ神話の研究と翻訳につとめ,34年「イーリアス」の翻訳で読売文学賞,48年「花冠―呉茂一訳詩集」で日本翻訳文化賞。昭和52年12月28日死去。80歳。東京出身。東京帝大卒。
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呉 茂一 (くれ しげいち)
生年月日:1897年12月20日
昭和時代の西洋古典文学者。東京大学教授;名古屋大教授
1977年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の呉茂一の言及
【呉秀三】より
…日本の近代精神医学の基礎を築いた人。江戸に生まれる。父は呉黄石(浅野藩医),母はせき(洋学者箕作阮甫(みつくりげんぽ)の長女)。1890年に東京大学医科大学卒業。その後,精神病学を榊俶のもとで学び,97年に渡欧し,ウィーン,ハイデルベルク,パリなどに留学した。4年間の留学の後半は,E.クレペリンのもとで学び,その精神病分類の体系を日本に導入した。1901‐25年の間,東京帝国大学医科大学教授として精神病学講座を担当し,1903年には[三浦謹之助]とともに日本神経学会を創立した。…
※「呉茂一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」