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東匈奴(きょうど)の単于(在位前58~前31)。匈奴が分裂して数人の単于がたったときの1人で、兄の郅支(しっし)単于と争って敗れ、前漢に降(くだ)って援助を求めた。郅支が西遷したのちモンゴル本土に帰って前漢と和親関係を保ち、王昭君を降嫁された。
なお、孫に、南匈奴初代の単于、呼韓邪単于(在位48~55)がいる。彼は単于位の継承に関する内紛から、単于の蒲奴(ほぬ)と対立して後漢(ごかん)に降り、このため匈奴は南北に分裂した。彼に率いられた南匈奴の諸部族は、オルドスを中心とする地域に居住して漢の北辺の防備にあたったが、これが後の五胡(ごこ)十六国の混乱の一遠因となった。
[護 雅夫]
?~前31
匈奴(きょうど)の単于。兄の郅支(しつし)単于と戦って敗れ(前54年),前漢に臣属してその援助を求めたため,匈奴は東西に分裂した(前51年)。前漢が郅支を討つと(前36年),さらに漢との和親を強め,王昭君(おうしょうくん)を降嫁された。以後,王莽(おうもう)の新が建国するまで両者の和平は続いた。
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…名は牆(しよう),昭君は字。《漢書》匈奴伝によると,前33年匈奴との親和政策のために呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁がされ,寧胡閼氏(ねいこえんし)と呼ばれて1男を生んだが,呼韓邪が死ぬと正妻の長子復株累(ふくしゆるい)単于と再婚して2女を生み,その地で死んだとある。彼女の話は後世多分に潤色されてさまざまな哀話を生み,ことに元の馬致遠が戯曲《漢宮秋》を書いて以後,彼女は悲劇のヒロインとして定着したきらいがあるが,《漢書》の記録が史実のようである。…
…新(しん)の王莽(おうもう)は烏桓(うがん)族の匈奴への納貢を妨げるなど,匈奴の恨みをかうことが多く,匈奴はまた中国に侵略したが,後漢の初め(48)匈奴内に内争がおこり,日逐(じつちく)王比は自立して単于となり,諸部を率いて後漢の光武帝にくだった。彼もまた呼韓邪単于と号し,許されて長城内に移り住み,その諸部は後漢の雲中など諸部に分かれ住み,中国の守備に任じた。これを南匈奴と称し,モンゴリアにとどまった従来の匈奴を北匈奴と称した。…
※「呼韓邪単于」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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