すごろくや丁半賭博(ちょうはんとばく)で、2個のさいころの目が3と1になること、あるいは、めくりかるたで一の札(ピン)が3枚になることをいう。また江戸時代には、下級侍の三一侍を略して三一ともいう。身分の低い侍や若党の1年の扶持(ふち)が3両1分であったところからこの卑称があるとも、渡り奉公の中間(ちゅうげん)は年給3両一人扶持(日に5合の玄米)であったことに由来するとも、諸説がある。のちには「さんぴん野郎」といった、相手を侮っていうことばとして使われた。また、遊興費が夜は400文、昼は600文の下等娼家(しょうか)であった四六見世(みせ)を三一長屋ともいう。賽(さい)の目の4と6の裏がそれぞれ3と1であるところからこの異称があったといわれる。
[棚橋正博]