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宣帝 せんていXuān dì

世界大百科事典 第2版の解説

せんてい【宣帝 Xuān dì】

前91‐前49
中国,前代皇帝劉詢。在位,前71‐前49年。武帝の曾孫,戻(れい)太子の孫。生後数ヵ月で巫蠱(ふこ)の乱に連座して獄につながれたが,大赦に遭い,民間で生育した。18歳のときに廃帝劉賀の後をうけ霍光(かくこう)に擁立されて即位した。霍光の死後親政し,儒術を統治の方針としたが,むしろ信賞必罰やいわゆる酷吏の登用など覇道のほうに傾いた。漠北では匈奴に内紛が起こり,日逐王や呼韓邪単于(こかんやぜんう)が服属し,西域諸国と通商路の確保のため西域都護を設置した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宣帝
せんてい
(前91―前49)

中国、前漢第9代の皇帝(在位前74~前49)。姓名は劉詢(りゅうじゅん)、字(あざな)は次卿(じけい)。武帝の曽孫(そうそん)にあたる。生後数か月で、祖父の戻太子(れいたいし)(衛太子)の反乱事件(巫蠱(ふこ)の乱)に巻き込まれ、廷尉(ていい)(へいきつ)らの手でかくまわれ、18歳のときまでひそかに民間で養われていた。それだけに下情に通じ、昭帝の没後、霍光(かくこう)(武帝の功臣)にみいだされて帝位につき、ついで外戚となっていた霍氏一族を滅ぼすや、中興の帝と評されるように、地方監察制度の整備など各種の内政改革の実をあげ、また外政では匈奴(きょうど)を分裂に追い込み、南匈奴を服属させることに成功した。墓は杜陵(とりょう)で、西安市の南東の郊外にある。[尾形 勇]

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世界大百科事典内の宣帝の言及

【漢】より

…この年数は,めまぐるしく興亡する中国の王朝の中にあって,最長の記録である。その間,高祖や武帝を筆頭に文帝,宣帝,光武帝などのすぐれた為政者が現れてよく治世につとめたため,秦の始皇帝の描いた統一国家の理想は漢によって実現されたのみならず深く根をおろし,それはたんに政治のみならず文化,社会などの上でも中国の基礎をきずいた。なかでもとくに注目されるのは皇帝による中央集権的な官僚制と郡県制の施行であり,さらには儒教の国教化である。…

※「宣帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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