日本歴史地名大系 「善得寺跡」の解説
善得寺跡
ぜんとくじあと
「満済准后日記」永享六年(一四三四)一〇月二八日条に「善得寺」とみえ、駿河守護今川範忠らから、鎌倉公方足利持氏が将軍足利義教を打倒しようとする野心がすでに明白となったとの注進状が満済に届いたことが記されている。満済はこの注進状を管領細川持之に転送している。当時今川氏は幕府の先兵として鎌倉の監視役の立場にあり、今川領国の東寄りに位置する当寺は東国の情報を今川氏に通報する役目を負わされていたのであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報