嘉吉条約(読み)かきつじょうやく

改訂新版 世界大百科事典 「嘉吉条約」の意味・わかりやすい解説

嘉吉条約 (かきつじょうやく)

1443年(嘉吉3,朝鮮世宗25)に,朝鮮から対馬の宗貞盛らにあたえられた通交貿易の条件。朝鮮側では,癸亥きがい)約条という。おもな内容は,(1)宗氏から毎年朝鮮に派遣する歳遣船(さいけんせん)の数を50に限定する,(2)宗氏から朝鮮に対して緊急に報告しなければならないことがおきたときは,歳遣船の定数外に特送船を派遣することができる,(3)朝鮮から毎年宗氏に送る歳賜米・豆はあわせて200石に限定する,の3点である。朝鮮の世宗は親日的な政策をとっていたので,日本から朝鮮に渡航する船の数が年々増加して,朝鮮側にとっては大きな経済的負担となった。癸亥約条はそれらを統制するために朝鮮から日本の渡航者に示した条項であった。以後,宗氏は機会のあるごとに通交条件の緩和を朝鮮側にもとめつづけたが,朝鮮側では逆に制限を強化する方針をとりつづけた。なお,近代国家間に締結される権利・義務の規定を想定させる〈条約〉の語を使用することは適切ではない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嘉吉条約」の意味・わかりやすい解説

嘉吉条約
かきつじょうやく

嘉吉3 (1443) 年,対馬島守宗貞盛と朝鮮との間に締結された条約。朝鮮では正統癸亥 (きがい) 約条と呼ぶ。朝鮮側が日鮮貿易の統制をはかったもので,内容は来航者の詐称を防止するため,銅印大名豪族商人などに授け,実名を刻んだり,九州地方の大名,土豪の使送船は九州探題,また対馬島内に住む大名や土豪などの使送船は宗氏の書契を持参すべきであると決めたりしたものであった。また室町幕府に対しては,象牙を用いて円形勘合符を製し,左半を朝鮮にとどめ,右半を幕府に贈った。将軍管領,有力大名のほかは,毎年渡航する航数をそれぞれ条約により限定した。これにより宗氏の歳遣船 (さいけんせん) は 50隻に制限され,歳賜米や豆も合せて 200石までと決められた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「嘉吉条約」の意味・わかりやすい解説

嘉吉条約
かきつじょうやく

対馬(つしま)島主宗貞盛(そうさだもり)(?―1452)と朝鮮王朝(李氏(りし)朝鮮)との間で1443年(嘉吉3)に定められた日朝通交の条約。朝鮮側では癸亥約条(きがいやくじょう)という。応永(おうえい)の外寇(がいこう)後、対馬と朝鮮の通交は一時とだえたが、世宗(せいそう)の平和通交による交隣政策によって、嘉吉条約をはじめ数多くの通交統制規定が定められた。条約の内容は、(1)島主宗氏は毎年50船を朝鮮に派遣できる、(2)宗氏には世宗10年(1428)以来実施されている歳賜米(さいしまい)・豆あわせて200石が与えられる、などである。この条約は、朝鮮側が日朝貿易の統制を図ったものであったが、これによって、宗氏歳遣船(さいけんせん)が制度的に確立し、朝鮮通交での宗氏の独占的立場が定まったのである。

黒田日出男

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世界大百科事典(旧版)内の嘉吉条約の言及

【日朝貿易】より


[対馬島宗氏の独占]
 やがて朝鮮貿易の利益に目をつけ,日本からの渡航者が増大したため,応接する朝鮮側の負担が大きくなったので渡航者の制限がはかられるようになり,朝鮮ではとくに地理的に最も近い対馬島の宗氏の特殊権益を認めることによって,統制化を進めていった。1443年(嘉吉3)宗氏との間で歳遣船隻を定約した嘉吉条約(癸亥(きがい)約条),渡航証としての文引(ぶんいん)(図書・文引)の制度強化などがそれである。これによって,日朝間に占める宗氏の位置は決定的なものとなり,一方,諸大名・豪族等の勢力が後退して,それらの名義を借りた偽使が対馬から派遣される状態になっていった。…

※「嘉吉条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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