器官なき身体(読み)きかんなきしんたい(英語表記)corps sans organes フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「器官なき身体」の意味・わかりやすい解説

器官なき身体
きかんなきしんたい
corps sans organes フランス語

フランスの哲学者ジル・ドルーズが提起した概念。国家・資本主義システムを身体に見立て、徹底的に批判する壮大な意図をもつ。着想した直接のきっかけは、「表層」での言語ゲームに戯れるかのようなルイス・キャロルの作品と、それを厳しく批判し、激烈な身体性を刻み込んだアントナン・アルトーの作品の「深層」との対照性とされるが、ほかにも共同提唱者である精神科医フェリックス・ガタリの臨床経験、主体や人称を自明のものとはみなさない立場(ヒューム)、互いに情動を触発しあう素粒子のような混沌スピノザ)、「力への意志」(ニーチェ)など、さまざまな文学思想からの影響が共鳴しており、また「リゾーム」「欲望する機械」「脱領土化」「アレンジメント」など、ドルーズ=ガタリが考案した他の概念とも緊密に参照しあう関係にある。

 ドルーズはこの概念を単独の論文「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」Á quoi reconnaît-on le structuralisme?(1972)において初めて示し、また同年に刊行されたガタリとの初の共著『アンチ・オイディプスL'anti-Œdipe(1972)のなかでその本格的な議論を展開した。同書のなかで、2人は「器官なき身体は一つの卵である。そこには軸と閾、緯度、経度、測地点が縦横に走っている。また生成と移動をしるしづけ、そこに展開されるものの行き先をしるしづける勾配が縦横に走っている。ここでは何一つ表象的ではなく、すべてが生命であり、生きられている」と述べ、器官なき身体を絶えず生成変化しつづける一種のエネルギーのようなものと位置づけている。加えて2人は、「分裂症化すること、無意識の場を分裂症化すること、さらに社会的歴史的な場さえも分裂症化すること、そうしてオイディプスの枷を吹き飛ばし、いたるところに欲望する生産の力を見出すこと」とも述べ、精神分析との鮮明な対決姿勢をも打ち出す。「資本主義と分裂症」というサブタイトルが示すように、「原始国家」「専制国家」「資本主義国家」の順に捉えられる人類史はまずもって「欲望する機械」の歴史であると考える2人にとって、すべてを近親相姦の図式で説明しようとし、分裂症を虚勢不安として退ける精神分析の視点は断じて認めがたいものであった(また、分裂症は資本主義の根本的傾向とみなされる)。この主張は、ラカンをはじめとするフロイト派の精神分析が多大な影響力をもっていた当時のフランス論壇に極めて大きなインパクトをもたらした。

 同様の視点は、後年の『千のプラトー』Mille plateaux(1980)にも継承されていく。『アンチ・オイディプス』の続編にあたる同書で、ドルーズ=ガタリは「いかにして器官なき身体を獲得するか」という独立した1章を設け、進化、記号、身体、戦争、国家、技術などの様々な主題を連鎖させて、器官なき身体の問題を一種の地質学、考古学として描き出そうとした。器官なき身体が、あらゆる物や観念を巻き込み、あらゆる価値や質を貨幣へと還元してしまう資本主義というシステムを形容する概念であるという立場はここでも揺らいでいない。

[暮沢剛巳]

『ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著、市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』(1986・河出書房新社)』『ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著、宇野邦一ほか訳『千のプラトー――資本主義と分裂症』(1994・河出書房新社)』『宇野邦一著『ドゥルーズ 流動の哲学』(2001・講談社)』『ジル・ドゥルーズ著、小泉義之監修、稲村真実ほか訳『無人島1969―1974』(2003・河出書房新社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「器官なき身体」の意味・わかりやすい解説

器官なき身体
きかんなきしんたい
corps sans organes(仏)

現代フランスの劇作家 A.アルトーが作った言葉で,G.ドゥルーズと F.ガタリがアンチ・オイディプスの中で再び取り上げ,一般に広まった。アルトーは,「身体は身体。器官はいらない。身体はけっして有機体ではない。有機体どもは身体の敵。人のすることは,どんな器官とも協力なしに全くひとりでに起こる」と言っているが,原義をよく伝えている。ドゥルーズらは,それを受けて個々の器官を統一する高次元の有機体,全体を支配する組織体を否定している。一般に,部分を一定の役割に閉じ込めてしまうような統一体が存在するという前提を捨てて,それぞれの部分に多様な組み合わせの可能性を開き,常に流動的で,新たな接合を求めていこうとする考えを表している。

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