(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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…また近江出身の学者では,中江藤樹が高島郡上小川村,崎門派三傑の一人浅見絅斎(けいさい)も高島郡太田村出身で,絅斎の弟子に犬上郡郷士の若林強斎,木下順庵に学んだ伊香郡の雨森芳洲ら儒者がいた。このほか野洲町の北村季吟,近江八幡出身の町人学者伴蒿渓,石の研究《雲根志》の著者に草津の木内石亭,鉄砲鍛冶の技術を生かして天体望遠鏡を作製し,天文観測記録を残した国友藤兵衛がいた。また天明・寛政年間には彦根の温恭会をはじめ各地に心学の結社ができた。…
…空気銃はドイツ,オーストリアなどでは15世紀ごろに各地で製作され,軍用にはナポレオン軍に対したオーストリア軍が使用した記録がある。日本へはオランダから徳川将軍家に1640年(寛永17)ころ献上されたのが始めてのものと思われ,1818年(文政1)近江の鉄砲鍛冶国友藤兵衛が,この銃をもとに独自のものを考案し,〈気砲〉と名づけている。それらはいずれも外部ポンプを使用する方式であった。…
…近世に入っても幕府の保護をうけて鉄砲生産は発展したが,中期以降衰えた。ただ幕末に国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が出て,銃砲の改良,空気銃・天体望遠鏡の製作,太陽黒点の観測などを行い,ひとり気をはいた。国友村は江戸期,初め幕領であったが,1724年(享保9)以降は大和郡山藩柳沢氏の領地となる。…
…遠眼鏡,千里鏡,星眼鏡などの名で呼ばれていたが,江戸初期には地上用のものの製作は幕府により禁止されていた。1830年代には国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が反射式の優れた望遠鏡をつくっており,月の表面や太陽黒点のスケッチを残している。 天体望遠鏡の一部を除けば,一般の望遠鏡はそのほとんどが屈折望遠鏡である。…
※「国友藤兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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