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国友藤兵衛 クニトモトウベエ

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デジタル大辞泉の解説

くにとも‐とうべえ〔‐トウベヱ〕【国友藤兵衛】

[1778~1840]江戸後期の科学者・鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)。近江(おうみ)の人。名は重恭。号、一貫斎。家は代々、幕府の御用鉄砲鍛冶職。自製の天体望遠鏡で太陽の黒点を観測。また、空気銃・ポンプなどを製作した。

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百科事典マイペディアの解説

国友藤兵衛【くにともとうべえ】

国友鉄砲鍛冶

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

国友藤兵衛 くにとも-とうべえ

1778-1840 江戸時代後期の砲術家,蘭学者。
安永7年10月3日生まれ。代々幕府の鉄砲鍛冶(かじ)職。オランダ製空気銃を改良した気砲を考案。天保7年天体望遠鏡を製作し,太陽黒点を連続観測した。天保11年12月3日死去。63歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は重恭。号は眠竜,一貫斎。著作に「気砲記」「大小御鉄炮張立製作」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

国友藤兵衛

没年:天保11.12.3(1840.12.26)
生年:安永7.10.3(1778.11.21)
江戸後期の鉄砲鍛冶,科学技術者。幼名を藤一。諱を重恭。一貫斎,眠竜と号し,また鉄砲の銘には能当を称した。近江国坂田郡国友村(長浜市)の出身で,家は代々江戸幕府の御用鉄砲鍛冶職を務めた。文化8(1811)年鍛冶年寄と鍛冶が対立した彦根事件によって,久しく国友鉄砲鍛冶を支配してきた年寄役の権威が失墜したあとを受け,実質的な国友鍛冶の代表者となった。この事件に関して江戸に出た際に医師山田大円と昵懇となり,彼から示されたオランダ製空気銃にヒントを得て20連発の早打気砲を完成するなど科学的独創力に富み,天保7(1836)年には,反射望遠鏡を製作して太陽黒点の連続観察をしている。また神鏡,鋼製弩弓,万年灯,懐中筆(万年筆)などを工夫し,文政13(1830)年には空を翔る風船(飛行船)を考案して幕府に上申している。これは実際には製作されなかったが,この時代に空を飛行できる可能性を信じていたことは,いかに卓抜した頭脳の持ち主であったかの証となろう。彼が発明した気砲の構造や製作方法については『気砲記』として自家出版している。また近世以前における唯一の鉄砲技術書である『大小御鉄炮張立製作』は,それまで鉄砲鍛冶の秘事とされてきた鉄砲の製作技術に標準化を採り入れることによって,たとえ巨砲であっても製作を可能にできるという方法論を著したものである。<参考文献>有馬成甫『国友藤兵衛伝』

(所荘吉)

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大辞林 第三版の解説

くにともとうべえ【国友藤兵衛】

1778~1840) 江戸後期の鉄砲鍛冶。名は重恭しげちか。近江国の人。代々幕府御用職。空気銃「風砲」を製作。また、自作の天体望遠鏡で太陽の黒点を観察した。

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世界大百科事典内の国友藤兵衛の言及

【近江国】より

…また近江出身の学者では,中江藤樹が高島郡上小川村,崎門派三傑の一人浅見絅斎(けいさい)も高島郡太田村出身で,絅斎の弟子に犬上郡郷士の若林強斎,木下順庵に学んだ伊香郡の雨森芳洲ら儒者がいた。このほか野洲町の北村季吟,近江八幡出身の町人学者伴蒿渓,石の研究《雲根志》の著者に草津の木内石亭,鉄砲鍛冶の技術を生かして天体望遠鏡を作製し,天文観測記録を残した国友藤兵衛がいた。また天明・寛政年間には彦根の温恭会をはじめ各地に心学の結社ができた。…

【空気銃】より

…空気銃はドイツ,オーストリアなどでは15世紀ごろに各地で製作され,軍用にはナポレオン軍に対したオーストリア軍が使用した記録がある。日本へはオランダから徳川将軍家に1640年(寛永17)ころ献上されたのが始めてのものと思われ,1818年(文政1)近江の鉄砲鍛冶国友藤兵衛が,この銃をもとに独自のものを考案し,〈気砲〉と名づけている。それらはいずれも外部ポンプを使用する方式であった。…

【国友】より

…近世に入っても幕府の保護をうけて鉄砲生産は発展したが,中期以降衰えた。ただ幕末に国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が出て,銃砲の改良,空気銃・天体望遠鏡の製作,太陽黒点の観測などを行い,ひとり気をはいた。国友村は江戸期,初め幕領であったが,1724年(享保9)以降は大和郡山藩柳沢氏の領地となる。…

【望遠鏡】より

…遠眼鏡,千里鏡,星眼鏡などの名で呼ばれていたが,江戸初期には地上用のものの製作は幕府により禁止されていた。1830年代には国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が反射式の優れた望遠鏡をつくっており,月の表面や太陽黒点のスケッチを残している。 天体望遠鏡の一部を除けば,一般の望遠鏡はそのほとんどが屈折望遠鏡である。…

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