国友藤兵衛(読み)クニトモトウベエ

デジタル大辞泉 「国友藤兵衛」の意味・読み・例文・類語

くにとも‐とうべえ〔‐トウベヱ〕【国友藤兵衛】

[1778~1840]江戸後期の科学者鉄砲鍛冶てっぽうかじ近江おうみの人。名は重恭。号、一貫斎。家は代々幕府の御用鉄砲鍛冶職。自製天体望遠鏡太陽黒点観測。また、空気銃ポンプなどを製作した。

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精選版 日本国語大辞典 「国友藤兵衛」の意味・読み・例文・類語

くにとも‐とうべえ【国友藤兵衛】

  1. 江戸後期の天文学者、鉄砲鍛冶。名は重恭。号は一貫斎、眠龍。近江国滋賀県国友村の人。幕府に仕え、鍛冶職総代となる。オランダ製空気銃を改良して気砲(空気銃)を作製。また、天体望遠鏡を完成して太陽の黒点を観測。安永七~天保一一年(一七七八‐一八四〇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国友藤兵衛」の解説

国友藤兵衛 くにとも-とうべえ

1778-1840 江戸時代後期の砲術家,蘭学者
安永7年10月3日生まれ。代々幕府の鉄砲鍛冶(かじ)職。オランダ製空気銃を改良した気砲を考案。天保7年天体望遠鏡を製作し,太陽黒点を連続観測した。天保11年12月3日死去。63歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名は重恭。号は眠竜,一貫斎。著作に「気砲記」「大小御鉄炮張立製作」など。

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367日誕生日大事典 「国友藤兵衛」の解説

国友藤兵衛 (くにともとうべえ)

生年月日:1778年10月3日
江戸時代後期の鉄砲鍛冶;科学技術者
1840年没

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世界大百科事典(旧版)内の国友藤兵衛の言及

【近江国】より

…また近江出身の学者では,中江藤樹が高島郡上小川村,崎門派三傑の一人浅見絅斎(けいさい)も高島郡太田村出身で,絅斎の弟子に犬上郡郷士の若林強斎,木下順庵に学んだ伊香郡の雨森芳洲ら儒者がいた。このほか野洲町の北村季吟,近江八幡出身の町人学者伴蒿渓,石の研究《雲根志》の著者に草津の木内石亭,鉄砲鍛冶の技術を生かして天体望遠鏡を作製し,天文観測記録を残した国友藤兵衛がいた。また天明・寛政年間には彦根の温恭会をはじめ各地に心学の結社ができた。…

【空気銃】より

…空気銃はドイツ,オーストリアなどでは15世紀ごろに各地で製作され,軍用にはナポレオン軍に対したオーストリア軍が使用した記録がある。日本へはオランダから徳川将軍家に1640年(寛永17)ころ献上されたのが始めてのものと思われ,1818年(文政1)近江の鉄砲鍛冶国友藤兵衛が,この銃をもとに独自のものを考案し,〈気砲〉と名づけている。それらはいずれも外部ポンプを使用する方式であった。…

【国友】より

…近世に入っても幕府の保護をうけて鉄砲生産は発展したが,中期以降衰えた。ただ幕末に国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が出て,銃砲の改良,空気銃・天体望遠鏡の製作,太陽黒点の観測などを行い,ひとり気をはいた。国友村は江戸期,初め幕領であったが,1724年(享保9)以降は大和郡山藩柳沢氏の領地となる。…

【望遠鏡】より

…遠眼鏡,千里鏡,星眼鏡などの名で呼ばれていたが,江戸初期には地上用のものの製作は幕府により禁止されていた。1830年代には国友藤兵衛一貫斎(1778‐1840)が反射式の優れた望遠鏡をつくっており,月の表面や太陽黒点のスケッチを残している。 天体望遠鏡の一部を除けば,一般の望遠鏡はそのほとんどが屈折望遠鏡である。…

※「国友藤兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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