国吉康雄(読み)くによしやすお

日本大百科全書(ニッポニカ)「国吉康雄」の解説

国吉康雄
くによしやすお
(1889―1953)

終生アメリカの美術界で活躍した日本国籍の画家。明治22年9月1日岡山市に生まれる。1906年(明治39)岡山県立工業学校染織科を中退して渡米し、ロサンゼルス美術学校に学んだのち、10年ニューヨークに移住。アート・スチューデンツ・リーグに入ってケネス・ヘイズ・ミラーの指導を受け、また反アカデミーのペンギンクラブの会員となる。22年から個展活動を始め、『果物を盗む少年』ほかに幻想的素朴派の作風を示す。25年と28年(昭和3)にヨーロッパ旅行をしてリアリズム画風に転じ、また石版画制作も始める。29年ニューヨーク近代美術館の「19人の現在アメリカ作家展」に選ばれ、画壇の地位を確立。31年帰国して東京と大阪で個展、翌年二科会員に推され、帰米。静物画、風景画に心象を託すほか、『私は疲れた』など官能的でもの憂い女性像を多く描く。またカーネギー国際美術展では39年に二等賞、43年に『誰(だれ)かが私のポスターを破った』で一等賞。太平洋戦争中は反日本軍国主義の立場を貫いた。48年(昭和23)ホイットニー美術館で異例の大回顧展が開かれた。晩年は『啓示』など色彩が鮮烈になり、表現を強め、52年ベネチア・ビエンナーレ展にアメリカ代表4作家の1人として選ばれたが、翌年(昭和28)5月14日ニューヨークでした。

[小倉忠夫]

『小沢善雄著『評伝国吉康雄』(1974・新潮社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「国吉康雄」の解説

国吉康雄
くによしやすお

[生]1889.9.1. 岡山
[没]1953.5.14. ニューヨーク
アメリカで活躍した洋画家。 1906年渡米し,ロサンゼルス美術学校,ナショナル・アカデミー,インディペンデント美術学校,アート・スチューデンツ・リーグなどに学ぶ。アメリカ美術界で認められ,29年ニューヨーク近代美術館の「19人の現存アメリカ作家」展に招待出品,その他主要な展覧会にも出品。また数多くの国際展で受賞。生活感情を深く反映した憂愁に富む独自の画風を展開し,現代アメリカの代表的画家として名声を博した。 31年一度帰国,二科展に出品したが,その後再びアメリカで暮した。主要作品『秋のたそがれ』 (1929,東京国立近代美術館) ,『サーカスの女』 (32) ,『裸婦』 (35) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「国吉康雄」の解説

国吉康雄 くによし-やすお

1889-1953 大正-昭和時代の洋画家。
明治22年9月1日生まれ。39年渡米。ニューヨークのアート-スチューデンツ-リーグにまなぶ。昭和4年ニューヨーク近代美術館の「19人の現存アメリカ作家絵画展」に出品。18年「誰かが私のポスターを破った」でカーネギー国際美術展1等賞をうけ,23年ホイットニー美術館で大回顧展をひらくなど,アメリカ画壇で活躍した。昭和28年5月14日ニューヨークで死去。63歳。岡山県出身。岡山県立工業中退。

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百科事典マイペディア「国吉康雄」の解説

国吉康雄【くによしやすお】

洋画家。岡山市生れ。1906年渡米,ロサンゼルス美術学校,ニューヨーク・アート・スチューデンツ・リーグに学び,終生米国で活躍した。地味な色調と広漠とした空間表現に異邦人の孤独と哀愁がみえる。代表作《行者たち》《鯉のぼり》など。
→関連項目岡山県立美術館目黒区美術館

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デジタル大辞泉「国吉康雄」の解説

くによし‐やすお〔‐やすを〕【国吉康雄】

[1889~1953]洋画家。岡山の生まれ。明治39年(1906)渡米、社会派的画風の中に郷愁を感じさせる作品で国際的に認められ、米国画壇の代表作家の一人となった。

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精選版 日本国語大辞典「国吉康雄」の解説

くによし‐やすお【国吉康雄】

洋画家。岡山県出身。一三歳で渡米し、苦学しながら絵を勉強。のち、現代アメリカの代表画家のひとりとして活躍した。明治二六~昭和二七年(一八九三‐一九五二

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世界大百科事典 第2版「国吉康雄」の解説

くによしやすお【国吉康雄】

1889‐1953(明治22‐昭和28)
洋画家。岡山市に生まれる。1906年渡米し,はじめシアトルで鉄道や農場で下働きし,ロサンゼルスに移って同地の美術学校へ通う。10年ニューヨークに移住。苦学しながら〈ジ・エイト〉メンバーのヘンライの学校に通う。〈ジ・エイト〉は19世紀以来の田園風景を主題とした素朴な写実を打破しようとする革新的な運動で,アメリカ的な都市生活を描き,アーモリー・ショーとともに当時の画家たちに大きな影響をあたえた。国吉はやがてインディペンデント美術学校などに通い,1916‐20年にはアート・スチューデンツ・リーグに学んだ。

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