印象主義の後をうけて,1880年代後半から20世紀初めにかけてフランスを中心に活躍した一群の個性的な画家たちのこと。〈Post-Impressionists〉という呼称はそもそも,イギリスの美術批評家フライRoger Fry(1866-1934)が,フランスの新しい絵画を紹介するために組織した展覧会名〈マネと印象派以後の画家たちManet and the Post-Impressionists〉(1910-11。ロンドン,グラフトン・ギャラリー)に由来する。日本では,〈後期印象派〉という訳語はすでに大正期にみられたが,適切とは言えず,〈印象派以後〉と理解すべきものである。展覧会の出品作家は,マネを特例として,ゴーギャン,セザンヌ,ゴッホ,ルドン,ナビ派(ドニ,セリュジエ),新印象主義の画家たち(スーラ,シニャック,クロスHenri-Edmond Cross),フォービスムの画家たち(マティス,マルケ,ブラマンク,ドランら)といった,印象主義から出発し,それをこえようとした雑多な画家たちであり,そこには表現主義的な傾向が顕著とはいうものの,格別の枠組みがあるわけでもなく,〈Post-Impressionists〉は,フライ自身も言うとおり,あくまでも便宜的な呼称にすぎなかった。この呼称が主として英語圏でしか用いられないのはこのためである。とはいえ,これは,印象主義以降の多様で複雑な様式の展開を俯瞰するには便利な言葉ではある。
後期印象派とは,セザンヌ,ゴーギャン,ゴッホ,スーラの4人を中核に考えるのがふつうで,彼らはいずれも印象主義の洗礼を受けはしたものの,光を色彩に還元する印象派の感覚主義に対する不満から,新しい方向を切り開こうとした作家であった。まずセザンヌは,印象主義の形態感覚の欠如した脆弱な画面を,〈プッサンの芸術のように〉堅固なものにしようとし,澄明な色彩を用いながらも,秩序感あふれる荘重な画面を構築した。ゴーギャンは印象主義の繊細な筆触を保持しながらも,その対象にとらわれない,大胆なアプラaplat(平たんな色面)により,輪郭のくっきりとした形態に基づいた力強い装飾性を意図するとともに,知的で心理的な画面構成ともあいまって,象徴主義的な深い精神性を表現しようとした。ゴッホは印象主義によって解放された明るい色彩を徹底的に主観化し,うねるような筆触で激しい感情を画面にぶつけ,表現主義的ともいうべき独自の世界を切り開いた。一方スーラは,いまだ経験主義的でしかなかった印象主義を理論的に深めることをはかり,色彩並置に根ざした点描法によってすべてを色斑に還元するとともに,厳格な構成感覚で画面をまとめあげた。彼らの作品は,セザンヌを別にすれば,色彩なり形態を象徴的に用いる,いわゆる象徴主義絵画と重なりあう部分がひじょうに大きいことに注意しなければならない。画面の構築性,とりわけ精神性を確立しようとした〈印象派以後〉の画家たちが,多かれ少なかれ,意味内容の象徴化に向かったのは,むしろ自然ななりゆきであったといえよう。
→印象主義
執筆者:本江 邦夫
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…このような写真の出現を前に,絵画の遠近法,画面の完全な構図が揺らぎはじめる。見慣れない視角から物を見ることや,静的な構図の構成から経過の途中の一瞬の把握という移行が,とくに後期印象派にあらわれてくるのは,明らかに写真の影響である。運動の解析的な把握はE.マイブリッジやマレーÉtienne‐Jules Marey(1830‐1904)によって行われるが,それはやがて世紀を超えて未来派の表現のなかに姿をあらわすようになる。…
※「後期印象派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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