日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホイットニー美術館」の意味・わかりやすい解説
ホイットニー美術館
ほいっとにーびじゅつかん
Whitney Museum of American Art
アメリカのニューヨーク市にある、20世紀以降のアメリカ美術を対象とする美術館。1931年開館。鉄道で財をなしたコーネリアス・バンダービルトの娘ガートルード・バンダービルト・ホイットニーGertrude Vanderbilt Whitney(1875―1942)が開設した。彫刻家でもあったガートルードは、マンハッタン区にあった自らのアトリエを開放するとともに、1914年、グリニッジ・ビレッジの8番街にギャラリーを備える「ホイットニー・スタジオ」を創設した。さらに1918年、アーティストを中心としたサロンの会員組織「ホイットニー・スタジオ・クラブ」を創立し、同じ8番街にアーティストの交流や作品発表の場であるクラブ・ハウスを開いた。こうしたギャラリーやクラブ・ハウスを会場として、1928年まで毎年展覧会を開くが、同展覧会からはエドワード・ホッパーらを輩出し、その作品は同館の母体となった。
ホイットニー・スタジオやスタジオ・クラブで行った展覧会のたびに購入したコレクションなど約600点から出発し、ホッパー、ベン・シャーン、イサム・ノグチ、マーク・ロスコ、ケネス・ノーランド、ジャクソン・ポロックなどの作品約2万5000点を所蔵する。とくにホッパーの作品は、死後、未亡人から寄贈された2500点が含まれる。ほかにもリップマン財団からリチャード・セラ、ドナルド・ジャッドなどの100点以上の彫刻作品が寄贈されるなどコレクションを充実させてきた。また、1988年以降MoMA(ニューヨーク近代美術館)と共同で「アンディ・ウォーホル・フィルム・プロジェクト」として、ウォーホルの映画フィルムの収集と調査も行う。
開館当初は8番街のスタジオやクラブの建物を拡張して使っていたが、1954年西54丁目に新館を開館し、1963年にマディソン街に移転した。1966年には同地にマルセル・ブロイヤーとハミルトン・スミスHamilton Smith(1925― )の設計による新館が開館。また、企業の基金による美術館の分館を積極的に設立させた。1973年マンハッタンのオルド・スリップに新人作家の展示を主とする分館、1981年コネティカット州スタンフォードにチャンピオン分館、1983年マンハッタンにフィリップ・モリス分館(のちに「アルトリア館」と名称変更。2008年閉館)が開館した。一方、マディソン街の本館は2014年まで使用されたが、2015年、ミートパッキング地区のハイラインとハドソン川の間にレンゾ・ピアノの設計による新館を開館し、それまでの本館は閉館した。
また、スタジオ・クラブの活動を引き継ぎ、1932年以降、「ホイットニー・バイエニアル」とよばれる特別展を開催している。この特別展は、創設当初はアメリカ人アーティストの絵画展と彫刻展を毎年交互に、1973年からは絵画と彫刻をあわせて隔年で行っている。また、アメリカにおけるニュー・ペインティングの大規模な展覧会「ミニマリズムから新表現主義へ」展(1983)など、テーマ展も積極的に開催。
1967年には「インディペンデント・スタディ・プログラム」(ISP)という奨学金制度を創設し、アーティストへの助成とともに美術館スタッフの養成も行う。
[鷲田めるろ 2021年12月14日]