国替(読み)くにがえ

精選版 日本国語大辞典 「国替」の意味・読み・例文・類語

くに‐がえ‥がへ【国替】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 平安時代、一度地方の国の掾(じょう)、目(さかん)などに任ぜられた者が、赴任を望まないで、他の国に任地を替えてもらうこと。
    1. [初出の実例]「国替并遷官者 以其闕官加大間、又注寄物」(出典:江家次第(1111頃)四)
  3. 豊臣秀吉徳川幕府による大名の配置替え。大名統制策として、慶長元和・寛永(一五九六‐一六四四)のころにもっとも多く行なわれた。
    1. [初出の実例]「国替在之歟、雑説在之」(出典:多聞院日記‐天正一五年(1587)一一月一日)

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改訂新版 世界大百科事典 「国替」の意味・わかりやすい解説

国替 (くにがえ)

江戸時代に行われた大名の配置替えのこと。転封てんぽう)または移封ともいう。豊臣秀吉のときに始まるが,江戸幕府の初期3代の将軍によって強行された。まず家康は,関ヶ原の戦の戦後処理の一環として,西軍にくみした外様大名88名を取りつぶして所領416万1084石を没収するとともに,毛利輝元,上杉景勝,佐竹義宣ら5名の外様大名の所領216万3110石を削り取って,輝元は安芸広島から長門・周防2ヵ国に,景勝は陸奥会津から出羽米沢に,義宣は常陸水戸から出羽秋田に転封した。家康はこれらの没収地を東軍に属して功績のあった外様大名に配分して転封する一方直轄領天領)に編入し,あるいは徳川一門(親藩)・譜代大名の取り立てにあて,関東をはじめ東海,東山および北陸,近畿,東北の一部に転封・配置した。その数は68名に達する。こうして徳川氏を中心とする新しい大名配置ができあがり,幕藩体制の基礎がつくられた。ついで秀忠は,外様大名25名,徳川一門・譜代大名16名を改易したが,転封策の中心は,家康の末期に打ち出された譜代大名の畿内集中配置とともに,東北配置を積極化したところにあった。こうして畿内とその周辺,東海・信越地方,東北南部の大名配置は激しく変化し,ここで豊臣政権下の大名配置は大きく変容した。

 さらに家光は外様大名29名,徳川一門・譜代大名20名を改易したが,九州および中国,四国など西国を中心に強行したところに特色があった。しかもそれが幕府の対外政策と並行し,鎖国体制を完成するための国内的政治措置として実施されたことは重要である。こうして九州の大名配置は大きく変化し,東九州に譜代大名が集中配置されるとともに,島原の乱後は西九州にも譜代大名が配置された。一方,同じ過程を通じて中国,四国には徳川一門が配置され,先に成立した御三家(尾張,紀伊,水戸)についで,松山松平(久松系),松江松平(越前系),高松松平(水戸系)および東北の会津松平(保科系)の4家が成立した。こうして家光の末期までに徳川一門,譜代大名の配置は全国に拡大し,これら徳川系大名を中心とする新しい領国体制ができあがった。その延べ総数は徳川一門22名,譜代大名151名(改易を含まず)となる。4代将軍家綱以降,幕政における文治政治の展開にともない幕府の大名統制が緩和された結果,改易とともに転封も減少し,外様大名はその領国に定着するに至ったが,譜代大名は幕政執行の立場から,行政的転封のほか,改易や交換によって引き続き転封が行われた。しかし,これも8代将軍吉宗の享保期(1716-36)を境に減少し幕末に至った。転封は改易とともに江戸幕府の大名統制の基本をなし,それによって兵農分離が促進される一方,徳川氏を中心とする幕藩体制が確立するとともに,大名統制の緩和は逆に幕藩体制を崩壊にみちびく遠因となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国替」の意味・わかりやすい解説

国替
くにがえ

江戸時代に行われた大名の配置替えのこと。転封(てんぽう)または移封(いほう)ともいう。豊臣(とよとみ)秀吉のときに始まり、江戸幕府の初期3代将軍によって強行された。まず徳川家康は、関ヶ原の戦いの戦後処理を通じて、東海・東山地方に配置されていた外様(とざま)大名を中国・四国・九州などの辺境地帯に転封する一方、大坂の陣後は、大坂およびその周辺諸国に譜代(ふだい)大名を集中配置したが、2代秀忠(ひでただ)は、さらに譜代大名の大坂周辺集中配置と東北進出を積極化し、3代家光(いえみつ)は西国を中心に転封を強行し、九州には譜代大名、中国・四国には徳川一門(親藩)を転封・配置した。こうして徳川氏を中心とする大名配置=領国体制ができあがった。寛永(かんえい)期(1624~44)を境に、外様大名の転封は減少したが、譜代大名は幕政執行の立場から、その後も盛んに転封が行われた。転封は改易とともに江戸幕府の大名統制の基本をなし、それによって、兵農分離が促進され、幕藩支配体制が確立した。

[藤野 保]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国替」の意味・わかりやすい解説

国替
くにがえ

領地を替えること。一般的には江戸時代に大名の領地を交代することであるが,律令制社会の後期にも,国司が自分のおもむく国を嫌って他の国に替えてもらうことを国替といった例がある。江戸時代初期には幕府は盛んに大名の国替を行なった。なかでも外様大名は,関ヶ原の戦い後だいたい1回程度の移動ですんだが,譜代大名は慶長~元和~寛永年間 (1596~1644) 盛んに国替された。国替は主として大名に対する賞罰として行われたが,のちには大名の願い出によることもあった。国替の移動に要する経費が莫大なため,社会問題を引起すときもあり,減封された場合は藩財政を貧窮に陥れることが多かった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国替」の解説

国替
くにがえ

領国を変換すること
①律令制下,国司に任じられた者がその国を望まないとき,希望によって任国をかえること。
②江戸時代,幕府が大名の領国をかえること。転封 (てんぷう) ともいう。豊臣秀吉のときに始まり,江戸幕府成立当初には大名統制策として,戦功や法制上の理由からことに多く行われた。特に譜代大名に多かった。国替に際し家臣は随伴するが,農民は移動を禁じられていた。

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百科事典マイペディア 「国替」の意味・わかりやすい解説

国替【くにがえ】

転封

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国替」の解説

国替
くにがえ

転封(てんぽう)

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