太平洋戦争末期に本土決戦に備えて組織された国民統合組織。1945年(昭和20)3月小磯内閣が創設を決定。職域・地域ごとに国民学校初等科終了以上で,65歳以下の男子,45歳以下の女子で組織された。内務省の指導の下に都道府県ごとに本部を設置し(本部長は地方長官),大政翼賛会・翼賛壮年団・大日本婦人会などの国民組織がこれに統合された。軍需品・食糧の増産などを任務とし,戦況逼迫の場合には民間戦闘組織に移行することになっていた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…ここに翼賛会と地方行政組織の一体化が完成し,天皇制ファシズムが体制として確立した。 大政翼賛会は各種の国策協力運動を展開したが,太平洋戦争末期に本土決戦が近づくにつれ,45年6月13日に解散し,大日本産業報国会を除く他の傘下団体とともに国民義勇隊(1945年3月23日閣議決定された小学校卒業以上男子65歳以下,女子45歳以下からなる戦災復旧組織。必要に応じて兵役制が適用されることになっていたが,敗戦で8月21日解散された)へ発展的解消をとげた。…
… しかし戦局の悪化とともにファシズム体制に亀裂が入り,脱会者が相次いだ翼賛政治会は,45年3月30日大日本政治会へ改組された。小磯内閣は,3月23日本土決戦に備えて国民義勇隊の結成を決定し,大政翼賛会は6月13日に解散して国民義勇隊へ発展的解消を遂げ,6月23日には義勇兵役法が公布された。国民義勇隊は,阿南惟幾陸相が言うように,国民の大部分を〈天皇親率の軍隊〉に編成し,天皇制ファシズムによる国民支配の極限形態を示すものであったが,その内実は武器が足りず,貧弱な形式倒れの組織にすぎなかった。…
…翼賛政治会の主導権を握る旧既成政党の指導者は,45年3月30日同会を解散して大日本政治会を結成したが(総裁南次郎陸軍大将),護国同志会の31名と翼壮議員同志会の20名の合計51名が参加せず,従来の翼賛政治会による事実上の一党独裁体制が崩壊した。 一方,小磯内閣は〈一億総武装〉による〈本土決戦〉を呼号し,1945年3月23日国民義勇隊結成の方針を決定,6月23日義勇兵役法が公布された。これにともない,大政翼賛会とその傘下の官製国民運動団体の多くは解散し(5月30日大日本翼賛壮年団,6月13日大政翼賛会と大日本婦人会,6月16日大日本青少年団,6月30日農業報国会と商業報国会),すべて国民義勇隊へ合流した。…
※「国民義勇隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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