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小磯国昭 こいそ くにあき

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美術人名辞典の解説

小磯国昭

政治家・陸軍大将。栃木県生。陸士・陸大卒。平沼・米内内閣の拓務大臣を歴任、朝鮮総督ののち首相となる。昭和25年(1950)歿、63才。

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デジタル大辞泉の解説

こいそ‐くにあき【小磯国昭】

[1880~1950]軍人・政治家。陸軍大将。栃木の生まれ。拓務相・朝鮮総督を経て昭和19年(1944)首相。第二次大戦後、極東国際軍事裁判で、A級戦犯として終身禁錮刑になり、服役中に病死。

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百科事典マイペディアの解説

小磯国昭【こいそくにあき】

陸軍大将,政治家。栃木県の生れ。陸大卒。陸軍省軍務局長として三月事件に関係。のち関東軍参謀長,朝鮮軍司令官平沼騏一郎米内光政内閣の拓相を経て,朝鮮総督となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小磯国昭 こいそ-くにあき

1880-1950 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治13年4月1日生まれ。参謀本部員などをへて昭和5年陸軍省軍務局長となり,軍部の満州進出を推進。平沼・米内(よない)両内閣の拓務相,19年首相となるが,沖縄戦の最中に総辞職。陸軍大将。戦後,戦犯として終身刑となり,服役中の昭和25年11月3日病死。70歳。栃木県出身。陸軍大学校卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

こいそくにあき【小磯国昭】

1880‐1950(明治13‐昭和25)
陸軍軍人,政治家。宇都宮生れ。1900年陸軍士官学校(12期)卒業,日露戦争に従軍ののち,10年陸軍大学校を卒業。16年参謀本部員として第2次満蒙独立運動を推進し,歩兵第51連隊長,陸大教官,陸軍省整備局長をへて30年軍務局長となり,三月事件十月事件に関与した。陸軍次官,関東軍参謀長,第5師団長,朝鮮軍司令官を歴任,37年大将に昇進,38年予備役となった。39年平沼騏一郎,40年米内光政両内閣の拓相,42年朝鮮総督,44年東条英機内閣が倒れると首相となり,彼の提唱により最高戦争指導会議が設置されたが,有効な戦局打開策を講じえず翌年4月総辞職した。

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大辞林 第三版の解説

こいそくにあき【小磯国昭】

1880~1950) 陸軍軍人・政治家。宇都宮生まれ。朝鮮総督などを歴任。東条内閣のあとをうけて組閣、戦後 A 級戦犯として終身刑。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小磯国昭
こいそくにあき

[生]1880.4.1. 栃木,宇都宮
[没]1950.11.3. 東京
軍人,政治家。 1900年陸軍士官学校を卒業。日露戦争に出征。 30~32年軍務局長,32年に陸軍次官をつとめた。関東軍参謀長,第5師団長を経て,35~38年,朝鮮軍司令官。 37年大将,38年予備役。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小磯国昭
こいそくにあき
(1880―1950)

陸軍大将、政治家。宇都宮市生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。参謀本部員などを経て、1930年(昭和5)軍務局長となる。1931年の三月事件に関与した。その後、陸軍次官、関東軍参謀長などを歴任。1937年大将となり、1938年予備役に編入される。1939年平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣、1940年米内光政(よないみつまさ)内閣の拓相となる。1942年朝鮮総督。1944年には東条英機(とうじょうひでき)内閣の後を受け、米内光政と協力して組閣。戦争完遂を目ざしたが、戦局は打開されなかった。また最高戦争指導会議を設け国務と統帥の一元化に努めたが成果はあがらなかった。1945年4月総辞職。終戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯となり、1948年(昭和23)終身禁錮の判決を受けた。服役中病没。自伝『葛山鴻爪(かつざんこうそう)』がある。[小田部雄次]

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世界大百科事典内の小磯国昭の言及

【最高戦争指導会議】より

…太平洋戦争末期の日本の最高戦争指導機関。政戦両略(国務と統帥)の一致を実現するため,小磯国昭首相の提唱により1944年8月5日大本営政府連絡会議を廃止して設置された。会議の目的は,〈戦争指導ノ根本方針ノ策定及政戦両略ノ吻合調整ニ任ズル〉ことにあり,会議は宮中で開かれ,重要案件の審議には天皇も臨席し,首相,外相,陸相,海相,参謀総長および軍令部総長の6名を正式の構成員,内閣書記官長,陸軍省,海軍省の両軍務局長を幹事とし,必要に応じて他の国務大臣,参謀次長,軍令部次長,枢密院(すうみついん)議長を出席させることとした。…

【三月事件】より

…前年10月桜会を結成した参謀本部ロシア班長橋本欣五郎中佐らは,31年2月第59議会が幣原喜重郎首相代理の失言問題で大混乱に陥ったのをみて,クーデタを遂行し宇垣一成陸相を首班とする内閣を樹立しようとはかった。建川美次参謀本部第2部長をはじめ二宮治重参謀次長,杉山元陸軍次官,小磯国昭軍務局長ら宇垣周辺の陸軍首脳部は橋本らに呼応し,積極的に画策をすすめた。計画は参謀本部支那課長重藤千秋大佐が中心となって作成し,右翼の大川周明,社会民衆党の赤松克麿,亀井貫一郎らとも連携,徳川義親から20万円の資金をえた。…

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